子どもたちが“自分で考える”時間は、条件的にどんどん少なくなっている。1965年の人口で見ると、15歳未満の人口が約2,500万人なのに対し、15歳以上の大人の数は7,000万人余り。1人の子どもに対して、大人の数は約3人いた。しかし2020年代になり、15歳未満の人口は約1,500万人まで減少したのに対して、15歳以上の大人の数は約1億1,000万人まで増加。1人の子どもに対して、約7人の大人がいる計算になる。1人の子どもに対して大人の数が3人しかいなかった時代から、7人の大人がいる時代に変化しているわけだ。人口変遷で見ると、子どもは昔よりも手をかけて育ててもらっている。
生徒に考えさせる

健康や幸福を害してまで、資本主義に迎合するために仕事にすべてを捧げる必要性は、いったいどこにあるのだろうか?大学進学や就職における競争が激化した結果、「特別でなければならない」というプレッシャーに疲れた若者たちは、今や「特別でなくてもいい」と主張し始めている。
現代は子ども1人ひとりに寄り添って、幸せになるためにどんな育みが必要か、個性・主体性を考える「オルタナティブ教育」が主流になってきているが、かつては「国を強くする」ということが、教育の大本命。いかに全国民に平等に、かつ効率的に強い国民を育てるかが、近代以降の教育のテーマだった。教育現場ではその流れを汲み、先生が「答え」を与えるような授業がこれまで多かった。先生が生徒に何かを教えて、それを生徒が受け取り、学ぶ。しかしそれは、生徒(子ども)が先生(大人)の意見をただ受け入れているに過ぎない。素直に相手の話を聞くという点では重要だが、それでは生徒が自分の頭で考えるという時間を奪っているとも考えられる。
1月に放映されたTBSの日曜劇場「御上先生」をご存じだろうか。この学園ドラマでは、「先生が何かを教えるドラマ」から、「先生が子どもに答えを教えず、自分で考えさせるドラマ」への転換が行われていた。「ティーチング」とは、先生が生徒に対して勉強や答えを教えるスタイル。かつての学園ドラマ「金八先生・GTO・ごくせん」で見られたやり方だ。それに対して「コーチング」は、先生が生徒に対して直接勉強や答えを教えるのではなく、生徒が自分で答えを出せるようにサポートすることを指す。このドラマはコーチングを軸に、“生徒に考えさせる”というメッセージを終始貫いた。教室内の生徒の意識が徐々に変わっていく情景が描かれているので、興味のある方は見てみてほしい。
自律を獲得せよ

あまりにもサービスを受けることに慣れすぎてしまうと、与えられることに慣れた子どもは、大人から手をかけられればかけられるほど、大切なものを失っていく。大切なもの、それは「自律」だ。自分で考え、判断し、決定し、行動に移す力だ。導くために必要なのは、答えではなく選択肢である。ルソーの有名な言葉にあるように、「子どもを不幸にするもっとも確実な方法は、いつでもどんなものでも手に入れられるようにしてあげることだ」(ジャン=ジャック・ルソー)…大人が手を差し伸べられるライフラインを、我々は間違えて与えないようにしなければならない。
感情的に難しいのは、親はいつまでも子どもをそばに置いておきたいと感じていることだ。これまで与え続けてきたものをいかにして引いていくかは、簡単ではない。しかし、過剰に子どもとの距離が近すぎると、そこには親が子どもを囲い込む「子どものペット化」なる、行き過ぎた課題の温床となる。昔のように子どもを労働力や稼ぎ手と見るのではなく、かわいい服を着せ、ちゃんとした教育に誘い、一緒に旅行やレジャーをして楽しい時間を過ごしたい。そんな人にとって子どもは、自分のすぐそばに置いておきたいペットとして飼い慣らすようになるのだ。友達のように過ごし、そのまま一緒に居続ける…。
子どもはペットではない

残酷なようだが、親はどこかで子どもを自立という道へ送り出してやらなくてはならない。幼少期の手厚い抱擁とは翻って、自立・独立へ向けて距離を取っていかなければならないのも事実。いつまでも手元に置いて、“手塩にかけた…”とばかり手懐けておいてはならない(“思春期にいうことを聞かない”という現象は、ある意味では自立に向けて子育てが成功したという見方もできる)。
第2次産業、第3次産業従事者のライフスタイルは、実家にいることで仕事(就職先・転職)の制約を産み出しかねない。場合によっては、親子同居は「仕事」の決定、経済的自立、社会での責任感の醸成、新たな家族形成への第一歩という“大人としての自立心”を育む意欲と機会を奪ってしまいかねないのだ。
日本では、49.4%の若い男女が親と同居(総務省「平成27年国勢調査」より)しており、欧米に比べると、かなり高い同居水準となっている。日本において親子同居の割合が高いことは、日本の若い男女の「経済的自立心」を育む方向には作用しにくいということがいえる。そう、いずれは「都心で三世代マンション」から旅立つことを、親のほうから仕向けなければならない。親、祖父母世帯もライフスタイルの変化に柔軟に対応し、ダウンサイズされた箱へ移るタイミングなのだ。やはりここでも、大小の空間に移り住むという空間の貸し借りという行為が、もっと社会的にもコストのかからない気軽な行動へ変わっていくことを改めて期待したい。
自律により自立できるか

農耕民族をルーツとする日本社会と、狩猟民族をルーツとする欧米社会とでは、家族の在り方への考え方に根本的な違いがある。欧米においては、「自らの狩場を親とは別にもつ」ことこそが「子どもの自立」。それができないと、同じ狩場に生息する獲物(動物)を取り合うことになり、親子共倒れになりかねない。そのため、「子どもが親と離れて暮らし(それぞれ別の狩場をもち)、自らの食料を自らの力で確保するための力を子どもに授ける」ことこそが、成長過程にある子どもに与え得る親からの最大のギフトだったのだ。
親から離れて暮らすことができる子どもに育てあげることが、子育ての最終目標となるが、日本では長らく、家族や仲間が体を寄せ合うようにして暮らすことは、当然のことであると考えられてきた。農村社会が主流だった時代には、親子同居による分業協業体制が、子どもの仕事の確保・維持・発展にとって大きな意味をもっていた。しかし、そんな日本社会も戦後の第3次産業化の進展によって、欧米型の「親とは別の狩場をもたせる」子育てを選ぶことが最適になるかたちへと、変貌しつつある。第3次産業化していく社会と狩猟社会は、“住み慣れた実家を離れることで大きなチャンスをつかめるかもしれない”という点で、似た構造をもっているのだ。
子どもの能力を最大限に活かすことのできる仕事は、実家の近くにあるとは限らない。子どもは親元から独立することによって、仕事における新たな能力を開花させる可能性が高まるケースがあるのだ。成人した子どもに同居というかたちで大きな庇護を与え続けると、自分たちが死んだ後、子どもの人生はどうなるのかと想像してみてほしい。我が子が成人した後まで最高の庇護者として「まだまだ子ども」扱いし続けることは、その子の人生の初老以降を狂わせはしないだろうか。
幼少期に数多くの選択肢でレジリエンスを手中に収め、考える力を身につけた子が十分に大人となったとき、親はひっそりと身を引いていかなければならない時期がくる。“結婚してあなたの家庭をもちなさい”…と。一緒に住んだ楽しい思い出はそのままに、寂しい気持ちはぐっとこらえ、そうやっていつかは穏やかに送り出してやる。それは同時に、あなたたちが苦心してやってきた子育ては、限りなく成功に近づいたのだと祝杯を挙げる瞬間でもあるはずだ。
(了)
<プロフィール>
松岡秀樹(まつおか・ひでき)
インテリアデザイナー/ディレクター
1978年、山口県生まれ。大学の建築学科を卒業後、店舗設計・商品開発・ブランディングを通して商業デザインを学ぶ。大手内装設計施工会社で全国の商業施設の店舗デザインを手がけ、現在は住空間デザインを中心に福岡市で活動中。メインテーマは「教育」「デザイン」「ビジネス」。21年12月には丹青社が主催する「次世代アイデアコンテスト2021」で最優秀賞を受賞した。

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