株主総会の深層(1)日産自動車、「Re:Nissan」はゴーン「リバイバルプラン」の二番煎じ(後)
経営再建中の日産自動車の株主総会は6月24日、横浜市の本社で開かれた。4月に就任したイヴァン・エスピノーサ社長ら4人の取締役が新たに選ばれ、新体制が正式に発足した。だが、前途は多難。日産の行き詰まりの根源を探ってみよう。(文中の敬称略)
日産を救った中国市場
とは言ってもカルロス・ゴーンは強運の持ち主である。リーマン・ショック後、自動車業界の潮流が変わった。次の時代のキーワードとなったのが、電気自動車と中国である。EVと中国を制した者が、世界の自動車業界の覇者となる。
ゴーンは、この2つの神風を見逃さなかった。時代を読む嗅覚は鋭い。素早くEVと中国に軸足を移した。もっとも、これは後講釈である。EVと中国に活路を求めるしか道がなかったということだ。
ハイブリッド(HV)車ではトヨタ、ホンダの敵ではなく、日米欧の先進国市場では敗北を重ね、もはや日産に勝ち目はなかった。起死回生策として、EVに取り組み、中国市場にシフトしたのである。
親会社のルノーに対して高配当を続けることを最優先したゴーンは、中国市場への進出もトヨタとホンダに先を越された。HVの開発の時と同じである。
日産が、中国の自動車メーカー東風汽車公司との合弁会社、東風汽車有限公司を設立したのは03(平成15)年の夏である。すでにホンダは1999年に、トヨタは2002(同14)年に、合弁会社で現地生産を開始していた。
出遅れを取り戻すため、一気に巻き返しを図った。03年からの4年間で、1,900億円の設備投資を行った。日米欧の大手メーカーが、国内や北米で発売済みのモデルを中国に投入するなか、日産は中国向けに独自に開発したクルマを同国のモーターショーで初めて発表し、時間を置かず売り出して中国重視の姿勢を打ち出した。
リーマン・ショックに沈んだ日産を救ったのが東風だった。トヨタ、ホンダは中国の合弁会社を持ち分法の適用会社としているため、どんなに合弁会社の事業が好調でも、持ち分法による利益としてしか寄与しない。一方、日産は、合弁会社の過半の株式を握り、連結決算の対象に組み入れていたため、ストレートに業績に反映することができた。
もし、合弁会社の業績が悪化すれば、日産の営業利益にモロに響くリスクは高いが、遅れて参入したゴーンは背水の陣で中国市場に臨むしかなかった。トヨタ、ホンダが所得水準の高い人が多く住んでいる沿岸部に販売店を配置したのに対して、日産は内陸部(奥地)にまで店を構えた。内陸部の所得が上がったことがニッサン車の売れ行きに大きく貢献した。結果オーライである。日産の業績が絶好調なのは、賭けに勝ったからにほかならない。
ゴーンが1999年に社長に就任してからの業績のV字回復は、彼が最も得意とするコストカットの賜物である。赤字を前倒しで計上して、絵に描いたようなV字回復を演出したのである。だから、ゴーンマジックと呼ばれる。だが、今回のV字回復は、皮肉なことに、彼があまり得手としていないクルマを中国市場で売ることで達成された。
ゴーンは何を目指したのか
カルロス・ゴーンの中国市場に賭けた起死回生策が、日産に勢いを取り戻させた。
2010年4月8日、日産=仏ルノー連合と独ダイムラーは包括的な資本・業務提携で合意した。主導したのは、仏ルノー会長を兼務するカルロス・ゴーンだった。
「資本の持ち合いは結婚指輪の交換みたいなもの。長期的な関係を築こうとするならば意味がある」。株式の持ち合いにまで踏み込むことには慎重だったとされるダイムラーのディーター・ツェッチ社長を、こう言ってゴーンは説得したという。3.1%ずつ相互に出資する「緩やかな持ち合い」が実現した。
両社はそれぞれ、トラウマ(精神的外傷)を抱えていた。ダイムラーは、三菱自動車のグループ化やクライスラーの経営統合に失敗した。日産は、ダイムラーとの提携交渉が破談となり、急きょルノーとの提携に至った経緯がある。
ゴーンのトラウマは、米ゼネラル・モーターズ(GM)獲りに失敗したことだ。GMが経営危機に陥った06(平成18)年7月に、当時、GMの筆頭株主であった著名な投資家のカーク・カーコリアンの要請を受けて、ゴーンはGMとの資本提携交渉に乗り出した。「トヨタを抜いて一気に世界一になれる」と色めき立ったゴーンは、日産&ルノー、GMという日米欧三極による巨大連合のトップになることに意欲満々だった。
だが、自力再建にこだわるGMのワゴナー会長(当時)とそりが合わず、わずか3カ月で、日仏米にまたがる世紀の交渉は失敗に終わった。世界覇権に執念を燃やすゴーンにとって、ダイムラーとの資本提携はGMにリベンジする絶好の機会だったに違いない。
ゴーンの秘めたる野望は「電気自動車王」になること
大衆車が中心の日産にとって、大型の高級車が得意なダイムラーとはマーケットが違うわけで、「シナジー(相乗)効果が出にくい」と指摘する声が多かった。
ゴーンはダイムラーとの提携で、何を狙っていたのか。
「電気自動車普及のカギを握る充電の方式(規格)で主導権を握ることだ」(外資系証券会社の自動車担当のアナリスト)。急速充電方式をめぐり、日米欧の主導権争いが激化していた。日本では、東京電力が開発した技術を国際標準規格として全世界に広げることを狙った協議会が10年3月に発足した。参加している自動車メーカーには温度差があるが、日産は「日本規格が世界標準になれるチャンス」と判断した。一方、トヨタは「規格の標準化は難しい」と半身の構えだ。日産が積極派、トヨタが消極派との色分けができよう。
欧州では独ダイムラーが中心になり、早くも国際標準化機構(ISO)に規格統一を働きかけている。ダイムラーには、中国のリチウムイオン電池大手、BYD(比亜迪)とEVを共同開発するプランもある。
「ゴーンはダイムラーと手を組むことによって、日欧中・三極連合を形成して、EV市場で主導権を握る狙いがある。規格の国際標準化は、ハイブリッド車で先行するトヨタの競争力を相対的に低下させ、(日産が)一気に差を縮めるチャンスが生まれる。ルノー、日産、ダイムラーの3社連合は、規格の標準化という思惑で一致した」(前出の証券アナリスト)。
日産は「打倒トヨタ」であり、ダイムラーは「打倒フォルクスワーゲン」だ。
さらにゴーンは経営が破綻し、再建途上にある米GMとの提携にも前向きだ。10年秋、仏有力紙『ルモンド』のインタビューで、ゴーンは「GMと接近するという選択肢は残っている」と語った。GMとのEV提携を視野に入れていることはいうまでもない。
日米欧中のEV連合で主導権を握り、「電気自動車王」となること。ゴーンが胸に秘めた最終ゴールである。だが、カルロス・ゴーンという名前が「電気自動車王」として歴史に刻まれることはなかった。
稀代の野心家、カルロス・ゴーンが、塀の内側に墜ちた
ゴーンは数々の名言を残している。〈素晴しい計画は不要だ。計画は5%、実行は95%だ〉。皮肉にも、東京地検特捜部は“素晴しい計画”を周到に準備し、ゴーン逮捕を実行に移した。
電撃的に「ゴーン逮捕」の幕が開いた。18年11月19日午後4時35分、機体番号「N155AN」のビジネスジェット機が羽田空港に着陸した。遠くから見ると、「NISSAN」と機体番号が読める。日産が7億円で購入した、世界中を飛び回っているカルロス・ゴーンだけが使う専用機だ。ビジネスジェット用専用駐機場に入ると、タラップが下ろされた。
ワゴン車からスーツ姿の東京地検特捜部の係官たちが機内に足を踏み入れた。午後7時45分、タラップ下に止っていた3台の車が走り出した。
その一部始終を朝日新聞の記者が動画で撮影していた。ゴーンが身柄を拘束されたことをつかみ、午後5時44分、ニュースサイト「朝日新聞デジタル」は、「ゴーンの任意の事情聴取が始まった」と世界に先駈けて第一報を流した。さらに、午後6時10分、ゴーン逮捕の速報を配信した。スクープ動画が、“ゴーンショック”の始まりとなった。
ゴーンは、自分の報酬を少なく装った有価証券報告書の虚偽記載(金融商品取引法違反)で逮捕され、起訴された。保釈されたゴーンは日本を密出国し、青春時代を過ごしたレバノンに亡命した。
ゴーンが遺した爪痕にのたうち回る日産
帝王、皇帝、暴君、独裁者、ワンマン、カリスマ。猛禽類のような鋭い目をした日産自動車会長のカルロス・ゴーンには、こんな異名がつきまとった。
だが、塀の内側に落ちてからは、会社の私物化、公私混同、強欲、銭ゲバ、カネの亡者。ゴーン像は一転した。日産は、いまなおカルロス・ゴーンが遺した爪痕にのたうち回っている。
(了)
【森村和男】