2024年12月22日( 日 )

患者が望む医療環境を見つめ続ける

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(有)東部冷熱工業 代表取締役 矢野 英和

気心の知れた付き合いがやがて仕事上の関係へ

hospital (有)東部冷熱工業は、20年以上の歳月をかけて、福岡市を中心とする病院建設事業に尽くしてきた。福岡市東区和白を本拠地とする社会医療法人財団池友会の病院建設における設備面での業務を20数年担ってきたのだ。そのきっかけを同社代表取締役の矢野英和氏は、池友会と同じカマチグループの法人、一般社団法人巨樹の会理事長の鶴崎直那氏とのつながりから始まったと語る。鶴崎理事長は出会った当時、池友会の小文字病院の外科医だった。鶴崎医師と会う際にいつしか小文字病院院長の蒲池眞澄氏が同席する機会が増え、いつしか仕事面での付き合いも増えていったそうだ。その後、池友会とのつながりを大切にしながら、さまざまな仕入先との信頼関係も築いていった。鶴崎氏が理事長となった巨樹の会とも歩みをともにし、関東方面の回復期病院にも何度も足を運んだ。

 池友会や巨樹の会との縁はそれだけではない。矢野社長の令夫人は、郷里が蒲地会長と同じ八女で、蒲地会長が医師として独立し、初めて下関カマチ病院を開設したとき以来、ずっと看護師として池友会に務めている。開設初期は良い看護婦を育てるために、看護学生や准看護婦に非常に厳しい看護師教育指導が行われていたそうだ。その難関を乗り越え、立派な看護婦として育ち、同じ池友会の小文字病院にやって来たところで、矢野社長に見初められたらしい。結婚後も看護婦と家庭を両立させ、夫婦ともども、同じ病院の建設と運営という両輪をそれぞれ受け持ってきた。

 このように公私共々、池友会と歩みを共にしてきた矢野社長は、「とにかく患者さんのためになる医療を行うこと」を掲げながら卓越した医療経営手腕を示してきた蒲地会長の業績を、陰ながら支えてきた。考える事業戦略をすべからく成功させていく蒲地会長の、その先見の目には感服するという一方、「蒲池会長の絶対的な意見には誰も異論を唱えられないというのはわかる。だが、これが同グループの継承を託すリーダー的存在の育成を遅らせるのでは」という独自の見解も示している。そのような中庸な視点を持つ存在だからこそ、長年、池友会という大企業並みの運営規模を持つ医療グループを支えることもできたのであろう。

信頼できる医療環境のなかに身を横たえて

 池友会の本拠地である福岡和白病院(池友会)では、今後、がん治療対策も視野に入れた事業計画が動き出しつつある。その矢先、矢野社長は福岡和白病院へがん治療の為に入院した。自分が長年建設という仕事で関わってきた医療機関で、気心の知れた医師たちに診てもらうという現状には、矢野社長がこれまで過ごしてきた人たちの多くが関わってくれている。「ここだと安心できるよ」という矢野社長の言葉には、信頼する人々に囲まれて治療できるという安心感がある。

 矢野社長は「入院も手術も化学治療も経験しているから病床生活は慣れているよ」と言いながら、「もしあの蒲池会長がこんな風に動けなくなったら、本当に生き甲斐をなくしてしまうんじゃないかな。常に活動していないと気持ちが収まらないタイプだから」と、エネルギッシュな蒲池会長のことをまた別の意味で心配している。重い病床の身ではあるが、気配りの人である。そして「今でも東京で仕事があれば行けるよ」と言う。このような気骨ある人物の存在が福岡の発展を支えていることを、矢野社長の言葉が教えてくれる。

※記事内容は2015年8月31日時点のもの

<COMPANY INFORMATION>
(有)東部冷熱工業
代 表:矢野 英和
所在地:福岡県糟屋郡新宮町原上1223-4
設 立:1990年8月
資本金:500万円
TEL:092-962-4400

<プロフィール>
矢野 英和(やの ひでかず)
1947年北九州市生まれ。九産大卒。81年(有)東部冷熱工業、創業。98年設立。ゼオライト、東芝キャリア、九電工、新日本空調、熊谷組などを仕入先に持ち、社会医療法人財団池友会への販売を行う。2006年、肺がんを発病、余命5、6年と言われたが抗がん剤治療で小康状態を保ち、蒲地会長とともにカマチグループ系列病院の建設に務めている。

 

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