2024年12月22日( 日 )

「0.5票」は、主権者ではない、「国民主権国家」を誕生させよう

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弁護士(TMI総合法律事務所パートナー)
一人一票実現国民会議 発起人 升永 英俊

「一人一票」訴訟は、何を問うているのか

 2014年衆院選(小選挙区)は、投票価値が最低の選挙区で1人「0.5票」しかなかった。295すべての小選挙区を対象に、憲法が保障する人口比例選挙(一人一票)でない選挙は違憲無効とする判決を求める訴訟を、14高裁・高裁支部に提訴した。高裁・高裁支部すべてで判決が言い渡され、現在審理は最高裁に移った。この訴訟は、国民主権国家を誕生させる意味がある。

憲法は「人口比例選挙」を保障している

 これまで、「一人一票」の問題は、衆院選で言えば、「1票の格差は2倍未満ならば合憲」という議論が一般的だった。人口比例選挙が、(1)憲法56条2項(「両議院の議事は、…出席議員の過半数でこれを決し」)、(2)憲法1条(「主権の存する日本国民」)、(3)憲法前文第1文(「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」「主権が国民に存する」)によって、保障されているという真実が発見された。

 憲法は、『主権者は国民だ』と定めている。国会議員が主権者だとは定めていない。国会議員は、国会議員が国会で主権者に代わって投票するための道具(tool)だ。道具は、主権者による「正当な選挙」で選ばれなければいけない。国民が主権者であるにもかかわらず、憲法56条2項が、主権者ではない国会議員の多数決で立法すると定めているのは、国会議員の多数が主権者国民の多数によって選ばれていることが前提である。

 国民の多数が、国会議員の多数を選ばなければ、国民主権ではない。国民の多数が国会議員の多数を選ぶ選挙は、人口比例選挙(一人一票)しかない。

憲法は規範である

tisaimae 現行憲法と「聖徳太子の十七条憲法」は、いずれも、『憲法』と呼ばれているが、その差異は、前者が、国家権力を縛る規範(即ち、ルール)であるのに対し、後者が、民と役人の心構えを列挙した道徳律(即ち、17カ条の理想を記述した文書)であるところにある。
 憲法前文と憲法1~103条の104箇の条規は、1つひとつがすべて規範(ルール)である。
 最高裁大法廷は、09年と12年の衆院選(小選挙区)、11年と13年の参院選(選挙区)を違憲状態だと判決している。
 憲法98条1項は、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律…及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と、『憲法が規範(=ルール)である』ことを明確に定めている。国政選挙は、
「国務に関するその他の行為」である。従って、憲法に反する選挙(違憲・違憲状態選挙)は、憲法98条1項により、効力を有さない。

 違憲状態の選挙で選出された国会議員は、『違憲状態議員=国会の活動を行う正統性の無い人(国政の無資格者)』である。

 違憲状態国会議員(国政の無資格者)が国会活動に参画することを許すことは、『憲法の規範性(=ルール)の否定』『法治国家の否定』である。
 たとえば、野球で「ストライク3つ」でバッター・アウトというルールがある。だから、三振したらアウトである。ところが、「まだセーフだ」として、ルール違反のバッター(打席に立つ資格のない人)に打撃を許しているようなものである。それではもはや、「3ストライク、バッター・アウト」はルールではない。

 最高裁判事(定員15名)の過半数は、違憲状態と判決しながら、次の選挙まで『国政の無資格者』に立法活動を許している。最高裁判事の過半数は、憲法の条文を規範(ルール)と捉えているとは思えない。裁判官にとって、「憲法98条1項は、規範ではない。理想を書いた文書、処世のための心構えに過ぎない」という立場である、と思われる。
 運転免許試験に落ちた者に自動車の運転を許す(無免許運転)、医師国家試験に落ちた者に医療行為を許す(偽医師)のと同様、言語道断の違法行為である。国政の無資格者は、1秒たりとも立法活動を行ってはならない。

憲法改正を発議する正統性がない

 現首相も、違憲状態の選挙で当選した『国会の活動を行う正統性の無い違憲状態議員』である。現内閣は、違憲状態首相、違憲状態議員により構成されている。現内閣には、国家権力を行使する正統性がない。

 現内閣の集団自衛権行使の閣議決定、新しい安保法制関連法案の閣議決定、同法案の国会審議、憲法改正の発議の議論は、国会活動の正統性の無い人々によって行われている。憲法改正の国会の発議は、この『狂気の沙汰』が本質である。憲法の予定していないこの『国家レベルの狂気の沙汰』が、今、日本で起きている。

 集団的自衛権の閣議決定は、憲法違反であるとか平和主義に反するという議論をする人々がいる。しかし、この議論は、その1京(1兆の1万倍)倍も重要な本質的議論を見落としている。
 この1京倍も重要な本質論とは、『今、(1)憲法98条1項に基づき、首相の国務を行う正統性の無い国会議員と(2)大臣の国務を行う正統性の無い国会議員(複数)が、内閣を構成し、結果として、内閣の活動を行う正統性の無い内閣が、集団自衛権行使の閣議決定を行った』ということである。

 もし仮に、最高裁大法廷が「憲法は人口比例選挙を保障している」旨明言した違憲無効判決を言い渡さず、違憲状態国会議員を含む国会の憲法改正発議を放置し、憲法改正が成立したとすると、日本は救われない。

 この『国家レベルの狂気の沙汰』を止める唯一の方法が、裁判所が「憲法56条2項、憲法1条、憲法前文第1文前段が、人口比例選挙を保障している」旨明言する、違憲無効判決を出すことである。

 市民は国家権力を行使する目的をもって、草の根運動する

 1億2,500万人の国民のうち少なくとも1万人が、『国会の活動を行う正統性の無い違憲状態議員』が、今、堂々と、憲法改正の国会の発議を議論していることの『異次元の深刻な異常事態』に気づくことを期待している。

 原発再稼働に反対する人々や集団的自衛権行使容認に反対する人々が、この『異次元の深刻な異常事態』にさほど関心を持たないのは奇異である。江戸時代までは、お上にお願いして自分の要求を実現してもらう社会だった。市民社会、国民主権国家ではなかったからである。

 市民とは、自分自身が、人口分の1(=1億2,500万人分の1)の国家権力の所有者であり、選挙で、自分の政治意見(原発反対、解釈改憲反対、秘密保護法反対等々の政治的意見)を公約に掲げる政党(単数または複数)に国会で多数議席を獲得させて、国会議員を介して、国家権力を行使する目的をもって、草の根運動(SNSで発信する、選挙資金の募金〈意見広告の募金等〉、クチコミ等々)をする人である。
 この市民の定義によれば、私は、2009年(67歳の時)まで、市民ではなかった。
 今、日本に、市民は、数えるほどしかいない。しかし、私は、1万人の市民が、2016年までに生まれることを期待する。幕末の志士は1,000人でしかなかったが、明治維新は成功した。今は、SNSがある。市民なくして、国民主権国家なし!今、有史以来今日までの1,450年間の日本史上初めて、民主主義国家誕生のチャンスが到来した。(談)

※記事内容は2015年8月31日時点のもの

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<プロフィール>
masunaga升永 英俊(ますなが ひでとし)
弁護士(東京第一弁護士会所属)、弁理士。TMI総合法律事務所パートナー。一人一票実現国民会議発起人。1942年生まれ。東京大学法学部、工学部卒。73年弁護士に。79年米コロンビア大学ロースクール修了。ワシントンD.C.弁護士、ニューヨーク州弁護士の資格も取得。青色発行ダイオード訴訟の原告側代理人など特許訴訟や税務訴訟で勝訴。

 

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