2024年12月23日( 月 )

ヤングファッションからファッションビルへ~マルイの業態転換(後)

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キャッシングの過払い金費用で長期低空飛行

 忠雄氏の後を継いだのが、3代目の青井浩氏である。1961年1月東京生まれ。83年に慶應義塾大学文学部を卒業後、パリやニューヨークへ留学した後、86年に丸井(現・丸井グループ)に入社。2005年4月、(株)丸井グループ(以下、丸井G)の社長に就いた。

 3代目の若社長に、強烈な逆風が吹きつけた。ドル箱だったカード事業の過払い金返還問題だ。店舗においては自社カード(06年に赤いカードからエポスカードに変更)による分割払いを進め、単に衣服を売る利益ではなく分割手数料を得ることができ、さらにカード会員によるキャッシングなどの融資事業から収益を上げた。カード事業で稼ぐ収益構造は、クレジット会社そのものだ。

 丸井Gを悩ませたのは、利息制限法の上限を超える利息(過払い金)の返還費用。上限を超える利息の受け取りを制限する06年の最高裁判決を受け、過払い金費用が急増した。
 09年3月期は、カード事業の過払い金返還の引当金積み増しで上場以来、初の87億円の最終赤字に転落。11年3月期は過払い金の引き当てで、236億円の最終赤字に陥った。

 カード事業の代役を、小売事業に期待するのも困難だ。小売業界地図は様変わりした。「ユニクロ」のカジュアルSPA、「ZARA」や「H&M」の海外ファストファッション、「ユナイテッドアローズ」のセレクトショップが台頭。丸井の顧客だった若い男女は、新興勢力に流れた。80年代のDCブランドに沸いたのは遠い昔の話。丸井Gは、低空飛行を続けた。

ファッションビルの不動産会社に業態転換

20160411_002 14年5月、青井浩社長は中期3カ年計画を発表。小売事業の業態転換を打ち出した。これまでの売上歩合の仕入れ契約を、家賃による定期借家契約へと切り替えるという大胆なビジネスモデルの転換だ。

 丸井は、百貨店と同様の店づくりを行っていた。全体の4割を自社で運営する自社編集売り場が占める。残り6割は丸井が仕入れて販売する。在庫リスクは取引先が持つ「消化仕入れ」と言われる売り場だ。
 自社編集売り場も消化仕入れ売り場も廃止。小売り事業そのものをテナントに切り替えていく。売上が減少しても安定的な賃料収入を得ることができるほか、衣料品以外の多様な店舗を誘致しやすい利点があるからだ。ファッションビルが採用している賃貸中心の事業モデルへの転換だ。丸井のパルコ化、ルミネ化である。

 だから、博多マルイは「ヤングファッションのマルイ」ではない。全体の7割はアパレル以外のカテゴリーで構成され、九州初登場のテナントが4割を占める。
 これは、ホップ・ステップ・ジャンプのジャンプ(飛躍)に相当する。ホップが創業者の忠雄氏の月賦百貨店、ステップが2代目の忠雄氏の赤いカードとヤングファッション、ステップは3代目の浩氏のファッションビルだ。
 丸井Gは、カードとファッションビルを運営する不動産会社に、業態を転換したのである。

(了)

【森村 和男】

 
(前)

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