「アメリカ再建」を掲げる戦乱の世紀が始まるのか

(一社)アジア・インスティチュート
理事長 エマニュエル・パストリッチ

イラン攻撃が示す旧世界秩序の終焉

 イタリアの思想家アントニオ・グラムシは、政治的混乱の時代を次のように表現したことで知られる。

「古い秩序は死につつある。しかし新しい秩序はまだ生まれない。そのあいだに怪物が現れる」

 現在の世界情勢は、まさにその「怪物の時代」に入りつつあるのかもしれない。イランの最高指導者アリー・ハメネイの暗殺は単なる一国の政治事件ではなく、歴史の大きな転換点として記憶される可能性がある。

 1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フェルディナントが暗殺された。この事件は第一次世界大戦の引き金となり、結果としてロシア帝国、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国という4つの巨大帝国を崩壊へと導いた。さらに戦後世界では社会主義が世界規模の政治運動として急速に広がることになる。

 当時、この暗殺がそこまでの歴史的帰結をもたらすと予測できた者はほとんどいなかった。同様に、今回の出来事がどのような未来を開くのかを正確に見通すことはできない。しかし、いくつかの大きな変化を想像することは可能だ。

 湾岸地域の王政国家、たとえばサウジアラビアやアラブ首長国連邦の体制は大きく揺らぐ可能性がある。イラン自身も現在とはまったく異なる国家へと変貌するかもしれない。イスラエルの安全保障体制も弱体化し、場合によっては国家そのものの存立が問われる事態すら考えられる。そして何より、アメリカの衰退はさらに加速するだろう。極端な場合、国内外において軍閥的な権力構造が生まれる可能性すら否定できない。

「漢王朝崩壊」に似た
アメリカ秩序の行方

 アメリカ、あるいはアメリカを中心として形成されてきた国際秩序の未来を考える際、しばしば想起される歴史的事例がある。それは中国における漢王朝の崩壊である。

 後漢末期、皇帝・霊帝とその周辺勢力は極度に腐敗し、政治は完全に機能不全に陥っていた。そうした状況のなかで184年に勃発したのが、宗教指導者・張角による「黄巾の乱」である。千年王国的な宗教運動であったこの反乱は、漢王朝の権威を決定的に揺るがした。

 しかし、張角の勢力は新しい国家体制を築くことはできなかった。彼らがもたらしたのは、既存の政治秩序の破壊であり、政府の正統性の崩壊であった。その結果、中国大陸には数多くの軍閥が出現する。

 『三国志』で知られる劉備、孫権、曹操もその代表的な存在である。彼らはいずれも「漢王朝の復興」を掲げて戦ったが、誰1人としてかつての帝国の政治経済システムを復活させることはできなかった。曹操は軍事的には圧倒的な成功を収めたが、それでも中国全体を再統合することはできなかったのである。

 その後、中国は長期にわたる分裂の時代を経験する。安定した統一国家が再び成立するのは、618年の唐王朝成立まで待たねばならなかった。漢の崩壊から数えれば、実に数百年におよぶ混乱の時代である。

 もし現在の国際秩序が同様の道をたどるとすれば、私たちは「アメリカ再建」を掲げる多くの勢力が争う長い時代を目撃することになるかもしれない。あるいは、米軍内部の権力構造、たとえばインド太平洋軍と中央軍の対立のようなかたちで、最初の亀裂が現れる可能性もある。

 一方、中国はすでに、ドナルド・トランプ政権が放棄した自由貿易や国際ルールを自らが守る存在であると主張している。これは、1990年代のアメリカ主導のグローバル秩序、いわば「クリントン時代のコンセンサス」を継承しようとする試みとも見ることができる。

国家を超えるテクノ金融権力の戦争

アメリカ イメージ    しかし今日の世界を理解するうえで、国家間の対立だけを見ていては不十分である。もう1つの巨大な対立軸が存在する。それは、IT、ナノテクノロジー、デジタル通貨、監視技術、心理操作といった技術を背景とした「富裕層対一般市民」の戦いである。

 この領域では、国家よりもむしろ巨大企業が主役となっている。オラクルやパランティアといった多国籍IT企業、あるいはブラックロックやブラックストーンのような巨大金融資本は、特定の国家に忠誠を誓っているわけではない。もしイスラエルやアメリカの地政学的地位が揺らぐなら、彼らは躊躇なくインドや中国へと活動拠点を移すだろう。

 彼らの視点から見れば、国家の興亡はビジネス環境の変化にすぎない。従って、このテクノ金融資本の暴走は、イスラエルやアメリカ、イランといった国家の運命とは無関係に続いていく。

 しかも、この巨大な権力構造はすでにイランやロシアにも深く入り込んでいる。にもかかわらず、こうした問題は、国家間の対立だけを単純に語る多くの政治論や陰謀論のなかでは、ほとんど取り上げられることがない。

 世界は今、古い秩序が崩れ、新しい秩序がまだ姿を現していない歴史の中間期にある。もしグラムシの言葉が正しいとするならば、この時代にはこれからも多くの「怪物」が現れることになるだろう。そして私たちは、その混乱のただなかを生きているのである。

補足:グラムシが語った
「中間期」という歴史の危機

 冒頭で引用したアントニオ・グラムシの言葉を解説しよう。この言葉は20世紀の政治思想のなかでもとくに広く引用されるものである。グラムシはイタリア共産党の指導者であり、ムッソリーニ政権によって投獄された獄中で『獄中ノート』を書いた。そのなかで彼は、社会の秩序が崩れつつある時代の特徴を分析している。

 グラムシの理論の中心には「ヘゲモニー(覇権)」という概念がある。国家の支配は、単なる暴力や強制だけで成り立つのではなく、人々がその秩序を「正当なもの」として受け入れることで成立する。学校、宗教、メディア、文化などを通じて形成される価値観の体系が、政治秩序を支えるのである。

 しかし、その価値体系が崩れると、社会は急速に不安定化する。人々は既存の制度を信頼しなくなり、政治の正統性は失われる。それでもなお、新しい思想や制度がまだ社会の合意を形成できない場合、世界は長い混乱の時代に入る。この状態こそが、グラムシが「古い秩序は死につつあるが、新しい秩序はまだ生まれない」という言葉で表現した状況である。

 歴史を振り返れば、このような中間期はしばしば大きな政治的激動をともなった。20世紀前半のヨーロッパでは、第一次世界大戦後の混乱のなかからファシズムやナチズムが台頭した。既存の自由主義体制が崩れたにもかかわらず、新しい社会秩序が確立されなかったためである。

 現在の国際社会も、同様の段階にある可能性がある。冷戦終結後の30年間、世界はアメリカを中心とする自由主義的な国際秩序のもとにあった。しかし近年、その秩序の正統性は急速に揺らいでいる。国内政治の分裂、経済格差の拡大、グローバル化への反発などが重なり、従来の政治制度への信頼は低下している。一方で、それに代わる新しい国際秩序の構想はまだ明確にかたちをとっていない。

 こうした状況のなかでは、強い指導者や急進的な運動、あるいは国家を超える巨大資本など、さまざまな新しい権力が台頭する余地が生まれる。グラムシがいう「怪物」とは、まさにそのような存在を指している。現在の世界政治に見られる混乱は、単なる地域紛争ではなく、長い歴史の転換期に特有の現象である可能性がある。


<PROFILE>
エマニュエル・パストリッチ

エマニュエル・パストリッチ博士1964年生まれ。アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビル出身。イェール大学卒業、東京大学大学院修士課程修了(比較文学比較文化専攻)、ハーバード大学博士。イリノイ大学、ジョージワシントン大学、韓国・慶熙大学などで勤務。韓国で2007年にアジア・インスティチュートを創立(現・理事長)。20年の米大統領選に無所属での立候補を宣言したほか、24年の選挙でも緑の党から立候補を試みた。23年に活動の拠点を東京に移し、アメリカ政治体制の変革や日米同盟の改革を訴えている。英語、日本語、韓国語、中国語での著書多数。『沈没してゆくアメリカ号を彼岸から見て』(論創社、25年)、『USAを盗んだ男—トランプ、そして腐敗を極める輩たち』(論創社、26年)。

関連記事