天皇は何のためにあるのか?(5)

福岡大学名誉教授 大嶋仁 氏

GHQと天皇

 1946年、GHQのマッカーサーは昭和天皇に「人間宣言」をさせ、戦前は「現人神」とされていた天皇を「ただの人」にし、そのことを国民に知らしめることで日本を「民主化」しようとした。GHQ構成メンバーである戦勝国のなかには、「天皇は戦争責任者のトップであるから、裁判にかけて処刑せよ」と主張する者もあったが、マッカーサーはこれに対して天皇温存策をとり、その代わりに「人間宣言」をさせるという妥協案を打ち出したのである。

 天皇を「大切」に扱えば、日本人は自分のいうことを聞くようになり、占領軍の日本統治はスムーズに進むだろう。これがマッカーサーの思惑である。この政策はアメリカ政府の指示に従ったもので、その基本は日本の伝統を最大限に利用して統治を円滑に進めるというものであった。これはイギリスの植民地支配の基本的原則でもあり、アメリカはそれを踏襲したのである。

 このイギリス式植民地支配の方策であるが、なんと明治の初めに福沢諭吉がこれについて警告を発している。『文明論之概略』(1875年)に、以下の言葉が見つかるのだ。現代語に訳すと、「イギリス人は東洋諸国を支配するために、その国家システムを破壊したうえで、王族だけは維持するから用心せよ」と言っているのである。

 昭和天皇の「人間宣言」であるが、これは明治政府が繰り出した「教育勅語」の完全否定の上に成り立っていることは明らかである。昭和天皇は自分が「現人神」ではないことを述べたうえで、「日本民族がほかの民族よりも優れている」というのは根拠のない虚構だとも明言している。これによって天皇は「神格」から「人格」へと移行し、日本は「神国」から「ただの国」へと移行したのだが、この移行は、はたしてどのような影響を日本人一般におよぼしたのだろうか。

 ここでまず問題にしなければならないのは、戦前の日本人の天皇観である。これについては、いまだ邦訳のないクック夫妻のオーラル・ヒストリー『戦時の日本』(1992年)に収録されている多くの戦争体験者の記憶のなかにほとんど「天皇」が出てこないことが示唆的である。戦地に赴いた者が「天皇」という語を聞かされたのは、「上官の命令は天皇陛下の命令だと思え」と言われた時であって、それ以外にほとんどないというのだ。つまり、兵士たちにとって日本は「天皇の国」ではなく、「故郷」であり、「家族」の住むところだったのである。

 このことは何を意味するかというと、「天皇」という言葉そのものが人々の心に居場所を得ていなかったということである。当時の日本人にとって、それは目に見えざる圧力の象徴ではあり得ても、それ以上でも以下でもなく、ある種の恐怖感を誘発するものだったということだ。そうであるならば、戦後の天皇の人間宣言はそれほどのショックとはならない。

 なお、背の高いマッカーサーの脇に立つ、やや貧弱な体躯の昭和天皇の新聞写真が「人間宣言」とともに全国に出回った。これを見て「失敬だ」と感じた日本人は多かったと聞く。しかし、だからといって、それまでの天皇への「崇拝」が一気に崩れたという話は聞かない。崇拝を強制されていた戦時の日本人にとって、「天皇」という存在はリアルではなかったのだ。

 では、そうであるならば、マッカーサーが指示した「人間宣言」なるものはたいした効果をもたなかったのか。否、効果はあった。だがそれは、マッカーサーが期待したものとは大いに異なるものだった。

 マッカーサーは戦時の日本人を「狂信的な天皇崇拝」に陥っていたと見ていたようだ。そのような「狂信」は国家が国民に強制したものであって、国民の心にまで届いてはいなかったのだが、そのことがわかっていなかったマッカーサーは、日本国民の前で天皇が「私は人間です」と公言すれば、国民は狂信から解放されるだろうと単純に思ったのである。これは完全な空振りだった。

 では、この人間宣言はどういう効果を発揮したのかというと、それまでは抽象的な虚構であった天皇が「リアル」になったということである。「皇室」というものが、初めて国民に具体的な存在となったのである。この効果は、「人間宣言」の少し後に始まった、8年間以上続く昭和天皇の「全国巡幸」によって倍以上のものになった。一部の国民は天皇を恨み続けたにしても、この巡幸で天皇が国民に深く頭を下げたことが多くの国民の心を慰め、日本人はかつてないほど皇室のありがたみを認めるようになったのである。

 このことは何を意味するかというと、政府が天皇と皇室をぞんざいに扱うと「命取り」になるということだ。日本国民一般にとって、天皇は今や心の財産の1つとなっているのである。仮にも現政府がそれに対する配慮をもたないならば、遅かれ早かれ国民からそっぽを向かれるに違いない。もしそういうことが起こらないとすれば、もはや日本国民は存在しないといってもよいと思われる。

(了)

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