第99回ライオンズクラブ国際大会を振り返って(後)
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第99回ライオンズクラブ国際大会ホスト委員会
委員長 不老 安正 氏奇跡の招致、福岡国際大会
――どのようなきっかけで、福岡に国際大会を招聘しようと思われたのですか。
不老 福岡市は、施設は充実していますが一地方都市です。申し込んで獲得できるかはわかりませんでしたが、「東京や大阪に次いで福岡へ」という燃えるものがありました。私は福岡県の観光に関わる仕事をしていることもあり、世界中の人々に福岡を知ってもらいたいという強い思いがあります。大型コンベンションを福岡に持ってくることは、私にとって1つのロマンなのです。
福岡市がバックアップしてくれたらできると思い、当時市長だった吉田宏さんに立候補のお願いにうかがいました。国際大会を招致することができれば、福岡にとって大きな財産になります。福岡の名を、世界中のライオンズメンバーが知ることになるのです。
2009年、福岡市が立候補する旨を、当時の国際会長に伝えました。そのとき、私は国際理事を務めていることもあって大会委員会に入りました。国際会長や他国の国際理事に「福岡をお願いします」と言っては親交を深めました。そして2年後、米国ノースカロライナで第99回国際大会の開催地を決める選挙を迎えたのです。――11年3月に起こった東日本大震災の影響で、原発が崩壊。日本は放射能汚染のため開催地としては不適格だと判断され、立候補を取り下げるよう要請されたと聞いています。それを振り払い、どのような執念で勝ち取って来られたのですか。
不老 実は、半分ぐらいは選挙で勝つと思っていました。開催地は、開催年の5年前に選挙が行われ、国際理事と執行役員の投票によって決まります。09年から11年までの2年間はロビー活動が許されており、私は彼らと食事をしたりお土産を贈ったりと、友好関係を築くことに注力しました。時間と労力を惜しみなく使い信頼を得られないと、これだけの大きなコンベンションを持ってくることはできません。
東日本大震災が起こったときは、本当にショックでしたが、私は日本のために絶対に引き下がれないと思い、立候補を取り下げないで4月の選挙に臨みました。第99回国際大会は、ソルトレイクシティ、ニューオリンズ、シンシナティ(オハイオ)、ボストン、マンチェスター、福岡の6都市が立候補しました。投票は、国際協会が見ている前で行われます。1度目の投票で、福岡とソルトレイクシティが残り、決戦投票に持ち越されました。そして2度目の投票で福岡に決まりました。他の国際理事の方々は、日本は落ちると思われていたのでしょう。心から祝福してくださいました。このとき国際会長を務められていた米国のシド L. スクラッグス氏を福岡国際大会に招待したのですが、「不老に任せて本当に良かった」と大会の成功を心底喜んでくださいました。
人生の根幹を語る
――最後になりましたが、不老委員長の人生の根幹にあるものについてお教えください。
不老 30代のとき、地元の有志から議員にならないかと要請されました。親族会議を開くとみんな賛成で、反対したのは妻だけ。当時、私は、クレー射撃に一生懸命取り組んでいて、国体に出場したいという夢を持っていました。私が人生で大事にしていることは、金銭で買うことのできない価値観です。自分の夢を、ロマンを大事にしたい。人から勧められて議員になるということは、自分の人生を生きることではありません。その話はお断りして、射撃の道に進みました。
射撃には、大変な費用が掛かります。しかし家族は、私がいくら費用を使っても文句ひとつ言いませんでした。私は自分の目標をしっかりと立て、家族にも理解してもらいました。射撃では、群馬国体で個人優勝、全日本選手権を獲得し、第10回アジア大会で団体銅メダル、そして、第24回ソウルオリンピックに出場することができました。オリンピックに行ったということは、私の孫や曾孫まで語り草になります。「うちのじいちゃん、オリンピックに行ったとよ」って。
現在は、2020年東京オリンピックに向けて、アスリート委員とクレー射撃のコーチングスタッフをJOC(日本オリンピック委員会)から委嘱されています。今後は、福岡から未来のオリンピック選手を輩出すべく尽力していきます。(了)
【文・構成:村重 珠実】
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