会社を乗っ取った元サニックス創業メンバー(中)~揺るがなかった先代の誓い
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福岡市博多区金隈で産廃処分場を運営する(株)和幸商会(本社:福岡市博多区金隈、箭内伊和男代表)だが、現在はすでに会社としては稼働していないとも聞かれている。業績不振から会社を立て直した立役者を追い出し、経営権を握った箭内氏に待っていたのは創業者の固い誓いだった。
ナンバー2を追い出し
08年ごろ、大金を持ち逃げした社員が箭内氏とともに姿を現した。それから同社の再転落劇が始まった。関係者によると、そのころから先代社長の様子がゆっくりと、そして確実におかしくなり始めたという。
それを「洗脳」と表現する関係者もいるが、ナンバー2のA氏を追い出して、先代社長から経営権を奪おうとする動きだったようだ。
先代社長をそそのかし、役員報酬の減額を要求。箭内側についた役員も加わり、A氏に圧力をかけ始めた。「これ以上会社に残れば、先代に迷惑をかける」とA氏は独立したが、和幸商会との協力関係は継続され、2年間が過ぎた頃だった。
突如、仕事上の関係も箭内氏が解消すると通告してきた。箭内氏がなぜそれほどまで敵対心を持っていたのかは関係者でさえもわからなかった。A氏を追い出し、箭内氏は和幸商会に入り込んだ。
突如の訴訟話
ビジネス上の協力関係が終わった後のことだ。さらに箭内氏はA氏に対し、A氏が受け取っていた役員報酬の返還を求める訴訟を仕掛けてきた。過去、ある決算期を境に、A氏の役員報酬が減額されたことがあった。
それを持ち出し、「報酬が高すぎる。減額した分のこれまでの差額総額数百万円を支払え」という一方的なもの。役員報酬は取締役会で決定していたが、いざ議事録を確認すると、なぜか役員報酬額決定の部分だけなくなっていたのだ。感情的になったA氏は、和幸商会経営陣の前で、毎月返済することを認める誓約書を書いてしまった。
遺言で状況一変
10年12月、本田孝一代表が死去。遺言状に「和幸商会の自分の持株(55%)をA氏に譲ること」を含んでいた。乗っ取り経営陣は、その遺言状の存在に気づき、抹消や変更を企てる。公証人に近づき、書き換えを要求したり、孝一氏が病に伏した際も、病床まで遺言の書き換えを迫ったりした。
恐れを感じた孝一氏は、財産管理人を立てた。その弁護士にも近づいた乗っ取り経営陣。それでも、孝一氏は一切応じず、遺言は当初のまま、変わることはなかった。株式の55%をA氏が相続した。
それでも、乗っ取り経営陣はA氏への圧力をかけ続けた。黙っていられなくなったA氏も攻勢に出た。持株配分では、事実上A氏が大株主で、決定権もある。「箭内氏が入社するまで順調に経営が行われていた会社が、今では傾きかけている。その責任は乗っ取り経営陣にある。」――それを指摘する権利を有するわけだ。
その態度を示したとたん、乗っ取り経営陣は青ざめ始める。持株55%の半分と引き換えに、今後一切A氏に関与しないことを約束し、それを履行した。長い戦いは幕を閉じた。
(つづく)
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