2024年11月24日( 日 )

大反復する歴史、その「尺度」を探る!(2)

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東京大学大学院 情報学環 吉見 俊哉 教授

歴史は長期スパンで見れば、非連続的である

 ――本著のタイトルには「予言」という文言が使われています。しかし、拝読した限りでは、「予言書」的な匂いはまったく感じませんでした。

 吉見 少しわかりづらい点があったかもしれません。簡単にご説明申し上げます。未来のこと考える際に、よく長期「予測」という言葉を使います。私はこの「予測」という言葉に違和感があり、使うことを避けたかったので、「予言」という言葉を選択しました。「予言」という言葉は、近代以前まで遡る思想的な深さがあり、「予測」という言葉が持っているデータ分析的な科学主義には収まり切らないのです。

 「予測」というのは、いわゆる「理系の知」の典型です。それは、現在から未来への連続性という前提があって初めて成り立ちます。人口予測とか、天気予報予測など、もちろん大地震や突然のスコールなどは予測困難ですが、かなりの確率で予測できます。人口の場合、人は0歳で生まれ20年経って初めて20歳になります。ある日突然に、子どもがいきなり10歳で生まれることはありません。ですから、人口統計は連続性が高く、予測も的確なのです。

 また、天気予報では、現実の大気で起こっている、大気の流れや日射、水蒸気の凝結や降水など、さまざまな現象を考慮して将来の状態を予測することができます。さらに、非連続的な側面を持つ「リーマン・ショック」などを除けば、為替の動きの予測、株価の動きの予測なども、人口、天気予報に比べれば確率は落ちますが、予測することが可能です。それに統計データを精密に分析していれば、経済恐慌の到来を予測することだってまったく不可能ではありません。なぜなら、恐慌は連続性の限界点で生じるからです。でも、その先の歴史までを統計的に予測することは不可能です。

 歴史の大きな動きは、ずっと連続的に変化しているのではありません。短期の2~3年先の未来ではなく、20~30年という長期スパンで未来を展望して見ると、必ずしもそれが現在の直線的な延長上にないことがはっきり検証できます。長期的なスパンでは、大きな価値の軸、「歴史の風景」がガラッと変わるのです。それは、非連続に転換します。ですから、短期の歴史は“連続”という法則性の上にあり、長期の歴史は“非連続”とでも言うべき法則性の上にあります。

 この非連続を念頭に置いた場合、私は歴史の未来を表す言葉としては「予測」より「予言」のほうが適切だと考えました。歴史を統計学的ないしは確率論的に捉え、現在からの連続性の先に未来を考察するのが「予測」であるとするならば、「予言」はむしろ歴史を演劇的に変容していくプロセスとして捉え、与えられた歴史の条件との格闘を通して人間たちの実践が実現していく未来を考察するのです。

 そして、この歴史のドラマトゥルギー(演劇的観察法)という視座から私が強調したかったのは、このような歴史のなかでの価値の大転換は、アトランダムに起こるのではないことです。長期の歴史は直線上ではなく、いわば螺旋曲線上にあり、似たいくつかのパターンの反復(「歴史は繰り返す」)で構成されていると考えることができます。

今ちょうど歴史の曲がり角に来ている

 ――歴史をパターン化した「風景」として捉えるとは、何だかワクワクする考え方ですね。

 吉見 世界では、ブレグジット(イギリスのEU脱退)、トランピズム(トランプ米政権誕生)、深刻な中東情勢とテロリズムの蔓延、拡大する中国とロシア復活、日本に目を転じれば、アベノミクスと莫大な日本の国家債務、終わりなき少子高齢化、地方衰退、格差拡大、非正規雇用による職の不安定、過激なネット世論、気候変動と巨大災害リスクなど、次々に予測不能と思える事態が起こっています。
 ですから、今私たちの多くは「未来が見えない」という底知れぬ不安を抱えて暮らしています。

 このようなとき、私たちはしばしば「未来が見えなくなった、予測できなくなった」という表現を使います。主観的にはたしかに、そのように感じるかもしれません。しかし、そこで前提とされているのは、未来が現在の連続的な延長上にあるという仮定です。これは常に成立するとは限りません。私が「予言」という言葉で表現しようとしたのは、現在からの連続性ではなく、むしろ歴史の反復です。従って、先ほどの表現は、正しくは「未来は現在の延長線上では予測できなくなった」ということになります。

 現代は、ちょうど歴史の曲がり角に来ています。今までの直線の延長線上では動いておらず、歴史がカーブを描いて曲がって動いているのです。だから未来は、直線的な延長線上には見えないのです。そこに気づくことこそが重要です。
 詳細はこれからのお話に譲りますが、21世紀は16世紀、17世紀と約500年の時を経て歴史が螺旋を描いた先にあり、一面では反復しています。歴史を螺旋的な反復という観点から考察すると、そこには連続的な未来とは違った風景が見えてきます。
 このことを考えるポイントは、「歴史の尺度」です。歴史の反復にはある一定の「尺度」があり、その認識が歴史の構造的な把握を可能にします。その尺度で、繰り返されるパターンを見つけることができれば、未来を見通すことができるようになるのです。長い歴史のなかで、どのような尺度で価値軸は大転換していくのでしょうか?

(つづく)
【金木 亮憲】

<プロフィール>
吉見 俊哉(よしみ・しゅんや)
 1957年、東京都生まれ。東京大学大学院情報学環教授。同大学副学長、大学総合研究センター長等を歴任。社会学、都市論、メディア論、文化研究を主な専門としつつ、日本におけるカルチュラル・スタディーズの発展で中心的な役割を果たす。2017年9月から米国ハーバード大学客員教授。著書には『都市のドラマトゥルギー』『博覧会の政治学』『親米と反米』『ポスト戦後社会』『夢の原子力』『「文系学部廃止」の衝撃』など多数。

 

 
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