九州地銀の業界再編を占う(1)
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今年も残りわずかとなったが、九州地銀の業界再編の動きのなかで大きな話題となったのは、やはりふくおかFGと十八銀行の経営統合が無期延期になったことだろう。実質白紙となった要因について時系列を追って振り返って見ることにしたい。
1.白紙に戻ったふくおかFGと十八銀行の経営統合
<2016年1月29日>
日銀の黒田総裁は、安倍総理が掲げる三本の矢、「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「投資を喚起する成長戦略」を支援するため、地銀の収益に大きな影響を与える「マイナス金利政策」の導入を決定。<2016年2月26日>
日銀総裁の発言から約1カ月後の2月26日、ふくおかFGと十八銀行は、経営統合することで基本合意書を締結したと発表。◆経営統合に関する基本合意について【詳細は(1)参照】
(株)ふくおかフィナンシャルグループ(以下FG)と(株)十八銀行は、それぞれの取締役会において、下記のスケジュールで経営統合することで基本合意することを決議したことを発表した。◆経営統合のスケジュール
◆この経営統合の発表は九州地銀のみならず全国の地銀に大きな衝撃を与えることになった。人口の減少にともなう地域経済の縮小が地方銀行に与える影響は大きい。日銀と同様に、金融庁もこの経営統合をモデルケースに、全国の地銀に経営統合を促していると見られたからだ。長崎県の金融機関について
長崎県には地銀が3行ある。第二地銀の長崎銀行は西日本シティFHの子会社。第一地銀は2行あり、県南の長崎市に本店を構える十八銀行と、県北の佐世保市に本店を構える親和銀行。両行は良きにつけ悪しきにつけ、永遠のライバルとして生き抜いてきた歴史がある。その銀行同士が合併することになったのだ。
<十八銀行>
十八銀行は1877年(1877年)9月2日、国立銀行条例に基づき、第十八国立銀行として設立された。1897年(1897年)7月1日に普通銀行に転換し、(株)十八銀行に改称した。数字の名前で営業を継続している数少ない銀行の1つとなっている。<親和銀行>
・親和銀行は1897年(1897年)2月15日、第九十九国立銀行として創業し、その後佐世保銀行に改称。佐世保商業銀行との合併時に商号変更し親和銀行となった。
2001年(2001年)3月16日に、同じく佐世保市を本拠地としていた第二地銀の九州銀行を救済するため株式移転により経営統合。金融持株会社九州親和ホールディングスの傘下となったが、不良債権の発生や頭取(当時)の女性問題などのスキャンダルにより、業績が大幅に悪化。
・そのため福岡銀行が06年10月、九州親和ホールディングスに出資し、業務提携や人的交流を進めたが、07年5月、自力再建を断念。同年10月1日、九州親和ホールディングスが全株式を売却するかたちで、ふくおかFG傘下の完全子会社となった。長崎県地銀(3行)について
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<この表から見えるもの>
・親和銀行は預貸金残高では十八銀行と差があるものの、収益では経常利益、中間純利益は上回り、収益体質が大幅に改善してきているのがわかる。・十八銀行と親和銀行の総預金シェアは95.2%で、長崎銀行のシェアは4.8%。貸出金のシェアは92.9%となっている。中間純利益のシェアは95.5%となっており、両行が合併すれば、寡占状態になることが数字の上からもわかる。
(つづく)
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