2024年11月25日( 月 )

平和で豊かな世界の実現を~ヤッファ・ベンアリ駐日イスラエル大使に聞く(1)

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 1948年5月14日に出された独立宣言によって誕生した、イスラエル。小国ではあるものの、近年はITを中心に世界的スタンダードとなるような技術や革新的発明などが相次いでいる。民族離散の過去をもつため、国家・国土に対するこだわりは強く、エルサレムをめぐる民族的、宗教的対立はいまだ収束の気配を見せない。イスラエルはどこに向かうのか、日本との関係性をどう捉えているのか。昨年、駐日イスラエル大使に就任したヤッファ・ベンアリ氏に聞いた。

待ち望んでいた、日本への赴任

▲国際政治経済学者 浜田 和幸 氏

 浜田和幸氏(以下、浜田) 昨年11月に着任され、ほぼ半年経ちましたね。日本での勤務は初めてとのことですが、来日前と後では日本に対する認識に変化はありますか。

 ヤッファ・ベンアリ駐日イスラエル大使(以下、ベンアリ) それはありますね。それまで本国でも海外の勤務地でも、日本については耳学問ですが、大いに関心を寄せてきました。歴史的にも、置かれている地政学的な環境に関しても、イスラエルと日本は共通点が多いからです。しかし、いくら頭で理解したつもりでも、実際に自分の目で見たり、足で歩いてみるのとではやはり違います。日本人の美意識や自然と共生する発想は、日本で暮らし、日々、日本人と接することで初めて理解できるようになったと思います。

 浜田 日本に対する関心が芽生えたきっかけは何でしたか。

 ベンアリ それは1982年のことでした。まだイスラエルの外務省に入って日の浅いころです。当時、日本での勤務を終え、イスラエルに帰ってきたばかりの先輩外交官から日本での体験談を聞く機会があったのです。彼は話し始めると止まらないほど興奮気味に、何時間も日本で出会ったすばらしい人々や伝統的な文化と近代的な産業の発展ぶりについて語ってくれました。「武士道」はもちろん、多様な食文化の魅力や相手の気持ちを慮る「以心伝心」の妙味についても興味深い話を次々と繰り出し、まるで「玉手箱」のようでした。天然資源が豊富にあるわけでもないのに、世界が羨むほどの目覚ましい戦後の復興や発展を成し遂げた。「そんな奇跡を起こす国に、将来、自分も必ず行く」と、決意したわけです。

 浜田 とはいえ、長い外交官人生で、なかなか日本に来る機会はなかったわけですね。

▲駐日イスラエル大使
 ヤッファ・ベンアリ氏

 ベンアリ そうです。36年間の外務省勤めのなかで、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカなど多くの国を回りました。また、2008年4月からはアジアとの接点が生まれました。なかでも、10年の上海国際博覧会や12年の麗水国際博覧会の期間中は中国と韓国に各々1年近く滞在したものです。その間、各地で日本人との出会いはありました。そうした出会いを重ねるたびに、日本への思いは深まる一方でしたが、なかなか夢は叶いませんでした。

 浜田 世界各地で外交官活動に精力的に取り組んだ後、14年3月からはイスラエルの本省にて次官補、そして経済局の局長という重責を担われましたね。メディア広報課長時代には「優秀チーム賞」を受賞されたと聞いています。イスラエル外交の中核的存在のようなベンアリ大使を心から歓迎したいと思います。

 ベンアリ ありがとうございます。本省勤めを通じてようやく、念願の日本行きのチャンスに遭遇することができました。というのは、経済局長として戦略的に重要な国々との外交に取り組む機会が増えたからです。なかでも経済面では日本との関係が極めて重要であるため、日本からの経済ミッションとは頻繁に会合をもつことになりました。幸い、ネタニエフ首相はアジア重視の姿勢の持ち主です。具体的には、日本、中国、インドの3カ国との関係強化を打ち出しています。そこで、自分としてはぜひとも駐日大使として赴任したいとの思いから、関係方面への根回しを進めたところ、タイミングも良かったようで、ついに夢が実現したというわけです。ネタニエフ首相や外務省の関係者には心から感謝しています。浜田さんのことも未来研究の第一人者としてよくお名前を聞いていました。お会いできて光栄です。

(つづく)

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