決別!「ドンキ」化するファミマ(後)
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無印商品は反体制商品だ
無印良品が世の中に知られるようになると、堤氏は不満を募らせた。『日経ビジネス』は堤氏の発言を記載している。いかにも詩人らしい、抽象的で観念的なものだ。
〈84年12月29日。西友の商品企画室のミーティングで、堤氏が発言した内容のメモが残っている。
(中略)「もういっぺん、無印良品とは何かをはっきりさせる必要がある。それは、(1)合理化なのか(2)新生活運動なのか(3)それとも消費者の自由を確保することなのか(4)ファッション・デザイン性なのか」
(中略)出席者にしばらく考えさせた後、堤はこう述べた。「やはり(3)の消費者の自由の確保が中心であり、(1)(2)(4)は要素ではないか。無印良品は反体制商品なのだ。自由の確保を忘れて、消費者への押し付けがでてきたら、その段階で、無印は『印』すなわち「ブランド」になってしまう」〉
「反体制商品」とは何か。出席者はチンプンカンプンだったろう。彼らにとって、ノーブランドでありながら、良質であるとの意味を込めてネーミングした「無印良品」は、大型スーパーに対抗する新しいPB商品と理解していたからだ。
堤氏は、「無印良品」のヒットが、お気に召さなかったようだ。アンチブランドの「反体制商品」のはずが、ブランド化して「体制商品」になったからだ。
〈1991年、ロンドン市内に進出したばかりの「MUJI」の店舗を視察した堤清二は表情を曇らせ、こう話した。
「ブランドを否定して生まれた無印良品が結局ブランドになってしまっているな」〉
感性経営の末路
セゾングループの幹部社員たちは、詩人の感性から発せられた言葉を、最後まで理解できなかったのではないだろうか。トップがイメージを口にするだけで具体的な指示をしなければ、組織は動かない。
バブル崩壊後、セゾングループがあっけなく解体した根本原因は、堤清二氏が経営者と詩人の二足の草鞋を履き、詩人の発想を経営にもち込む感性経営にあった。
セゾンの解体後、ファミマは伊藤忠商事が筆頭株主となったが、「無印良品」の取引を続けた。2006年には、ファミマと良品計画が株式の相互持ち合いで関係を強化。ファミマのなかに、無印良品の専用棚ができた。その専用棚もなくなる。
株式の相互持ち合いは解消。良品計画は18年2月末時点でユニー・ファマ株100万株を保有していたが、段階的に売却したとされる。ファミマと良品計画の間に、かすかに漂っていた「セゾン王国」の薫りが消えた。
(了)
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