2024年12月22日( 日 )

中国企業「友利家具」として挑む家具づくりとは?(前)

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 (株)アダルの武野重美会長が最も信頼する中国人スタッフが、15年間にわたって現地で苦楽をともにしてきた張英氏だ。張英氏は、上海協栄家具有限公司に作業員として入社。上海出身で、日本語を解し、実務経験が豊富なことから、武野会長の片腕、パートナーとして、武野会長の現地での活動を公私両面から支えてきた。現在は、中国企業「桐郷市友利家具有限公司」の董事長(オーナー)として、主に総務や財務、政府の役人との交渉を担当している。武野会長は、なぜ張英氏に友利家具を任せたのか。張英氏とはどういう人物なのか。お2人に話を聞いた

中国での会社経営には中国人の身内が必要

 ―武野会長と初めて会ったときのことを覚えていますか?

 張英 覚えています。上海市内の武野会長のマンションで会いました。私は当時、大川の刃物屋さんであるタクトの通訳をしていました。タクトの江崎、木下両社長は武野会長のお友だちで、武野会長に挨拶に行くというので、私も同行しました。15年前の9月13日のことでした。

 ―武野会長の第一印象は?

 張英 何も感じませんでした(笑)。ただ、挨拶の後、みんなでカラオケに行って、武野会長が奥さんを募集していることを知りました。「日本で働きたい」と思っていたので、「良いチャンスだ」と思いました。「武野会長を利用しよう」と考えたわけです。

 武野 それはその通りだったと思います。彼女は当時、困難な状況にありましたから。タクトさんは、上海での商売のため、私のところに相談に来られたんです。それで、江崎、木下両社長は通訳である彼女を私に紹介したんです。

 ―武野会長の張英さんに対する第一印象は?

 武野 最初、彼女から「奥さんにしてほしい」と言われたときは、「あなた、何考えているの?」と思いました。確かに奥さんを募集していましたが、私の募集条件は、日本語を理解できて、日本にいたことがある40〜50歳ぐらいの仕事好きの女性でした。彼女は、私と35歳以上の年の差があり、若過ぎだと思ったからです。ただ、彼女にはやる気があると感じました。それで奥さんにしたわけです。

 ただ、当時すでに「中国での会社経営は、日本人にはできない」と考えていました。優秀な人間を何人か中国に送っていましたが、1年ももたず、中国を去っていたからです。上海に会社をもっていた台湾の知り合いからも「中国人の身内でもいない限り、中国ではうまくいかない」と言われていました。「いとこでもなんでも、とにかく中国人の身内がいないと、中国ではムリよ」と。彼は上海にたくさんの身内がいました。だから、上海に会社を出せたのです。

 ただ、私は悩みました。すぐに決断できなかった。そして女房に相談したんです。私が日本人スタッフをどれだけ教育しようとしても、すぐに逃げてしまう。私はもう60歳を過ぎている。このままではアダルを潰すことになる。絶対にアダルを潰したくない。だから、アダルを守るために、「中国人の奥さんを募集したい」と言いました。女房は最初「あんた、何をいうの?」と驚きましたが、最後は「あなたが言ったことで、失敗したことはない。あなたを信じる」と納得してもらいました。

武野重美・(株)アダル会長ファウンダー(右)と張英・桐郷市友利有限公司董事長
旧松江工場を改装したオフィスビルにて

(つづく)

【大石 恭正】

(中)

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