2024年11月21日( 木 )

怪物・カマチグループ創設者、蒲池真澄氏(8)

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徳田虎雄徳洲会は銭ゲバ・蒲池総帥私欲無し!(中)

<ファミリーによる病院の私物化を国税が認定>


hospital1 巨大医療グループ徳洲会で、創業家一族による私物化の実態が、改めて浮き彫りになった。医療法人徳洲会と関連会社が国税当局の税務調査を受け、2014年までの7年間で約22億円の所得隠しを指摘された。徳田氏の親族が経営するファミリー企業に不正な利益供与があったと認定した。4月7日付の各新聞が一斉に報じた。
 徳田氏の次男、徳田毅・元衆院議員(43)が当選した2012年衆院選を巡る公職選挙法違反事件を受け、妻の徳田秀子氏、長女の越沢徳美氏(51)、次女のスターン美千代氏(47)らグループ幹部10人が起訴され、全員の有罪が確定した。東京地検は、徳田虎雄氏を選挙運動全体を主導した統括主宰者と認定したが、難病のALSで入院中のため「出廷は困難」として不起訴(起訴猶予)処分にした。
 事件を受け、徳田虎雄氏は各医療法人の理事長を退任。親族らはファミリー企業の経営から退き、「自分が会社を整理する」として徳田氏が後任に座った。だが、難病で入院中の徳田氏が経営を指揮するのは難しく、親族がファミリー企業に復帰する話も出ていた。
 所得隠しを指摘され、病院とファミリー企業を切り離す動きは強まる。最大の焦点は、法人税が軽減されている特定医療法人と社会医療法人の認定が取り消されるかどうかだ。認定が取り消されれば、病院経営に与える影響は大きい。

<発端は徳田ファミリーと徳田氏の金庫番との対立>

 そもそもの発端は、徳田虎雄氏のファミリーと、徳田氏の側近中の側近といわれた前事務総長の能宗克行(のうそう・かつゆき)氏(58)(業務上横領罪で起訴)の対立にあった。徳田氏のワンマン政党だった自由連合(2010年8月に政党要件を満たさない状態となったため解散)の清算方法をめぐる対立だ。自由連合の借入金は77億円残っていた。
 徳田氏の金庫番として、自由連合の会計責任者であった能宗氏は「借入金の処理は、徳田理事長が当初、示していた方針通り、理事長が代物弁済によって全額弁済すべだ」と主張。これに対して、徳田氏のファミリーと弁護団は「政党への個人保証などあり得ない。自由連合は破産処理するだけでいい」という見解を示して対立した。
 徳田氏がALSという難病で倒れた後、女性ファミリーが中心になってグループへの関与を強め、徳洲会専務理事の能宗氏らグループ幹部と対立を深めていく。徳田ファミリーは12年9月、能宗氏を解任。反撃に出た能宗氏は、東京地検特捜部に告発し、次男の徳田毅衆院議員の公職選挙法違反事件に飛び火していくのである。

<政治資金づくりが目的だったファミリー企業>

 徳田氏の子供たちはファミリー企業を継ぐ気はなかった。ファミリー企業は自由連合の政治資金をつくるための受け皿だったからだ。病院を建設する際に、建設業者から3%のバックマージンを受け取った。そのカネは虎雄氏が創設した政党である自由連合の活動資金に充てられた。公共工事の口利きで建設業者から受け取るバックマージンが政治資金に使われるのは、田中角栄元首相の金脈問題以来、すっかりお馴染みになった手法だが、虎雄氏は、そのやり口を踏襲したわけだ。
 政治資金づくりが目的のファミリー企業を相続しても、なんのメリットもない。だから、子供たちはファミリー企業を相続する気はさらさらなかった。だが、虎雄氏が02年にALSに羅患し、05年に政界から引退した。もう、自由連合の政治資金をつくる必要はない。ファミリー企業のカネは、親族で自由に使えるようになった。ここから「子供に美田を残す」ことを使命とした秀子氏の活躍が始まる。

<ファミリー企業の中核「カブトク」>

 ファミリー企業の中核は、株式会社徳洲会(東京・千代田区)。通称「カブトク」と呼ばれている。徳洲会系の病院が医薬品や医療機器を調達する際には、カブトクを通さねばならなかった。カブトクの13年3月期の売上高は859億円。注射器は5%、医療機器は20%の手数料が落ちる仕組みだ。
 設立は1999年12月。資本金は1億円。虎雄氏が100%出資した。社長には長女の越沢徳美氏を就けた。
 虎雄氏は子供たちが成人しても厳しかった。医師免許を取得すると、いきなり離島の徳洲会系病院に赴任させた。都会育ちの子供に離島の医師が務まるわけがなかった。次女のスターン美千代氏は1年もしないうちに逃げ帰ってきた。長女の徳美氏も離島の病院に派遣され、かなり苦労した。
 本土に戻ってきた徳美氏は30歳代半ばでカブトクの社長に就いた。経営は虎雄氏がすべて仕切って、徳美氏は名前だけの社長でしかなかった。だが虎雄氏の病が進み、経営に口を挟まないようになると、自由放題にカネを使うようになる。あまりの強欲ぶりに、虎雄氏が激怒した。カネを浪費したのは離島病院時代の苦しかった生活の反動からだろうか。

(つづく)

<プロフィール>
kamati_pr蒲池 真澄
学校法人福岡保健学院創設者、社会医療法人財団池友会理事長、カマチグループ会長。
1940年4月14日、福岡県八女郡黒木町生まれ。蒲池家は江戸中期から8代続いた医師の家系で、蒲池真澄で9代目となる。59年 福岡県立修猷館高校卒業、65年九州大学医学部卒業。東京虎ノ門病院でインターン(1年間)、九大大学院医学研究科、下関市立中央病院、福岡大学医学部を経て、74年に今日の池友会グループの礎となった下関カマチ病院を開院し独立した。

 

 

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