中国現地ルポ -広州・杭州・長春・北京-(3)
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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏
珠海
広州から南西に130km行くと、海に面した珠海市にたどりつく。もとは小さな漁村だったが、今では国際会議場や超モダンなオペラハウスを有するリゾート・タウンである。
この地に物凄いスピードで完成を急ぐ学園都市がある。10年ほど前に知り合った哲学の教授がそこにいるのを知って、思い切って彼を訪ねてみた。久しぶりだが、歯に衣を着せぬ弁舌は相変わらずで、開口一番こう言った。「どうです、前と違うでしょう、中国は。これぞ真の社会主義、いや、まさに資本主義の極致ですなあ」
社会主義を謳いつつ市場経済を導入。鄧小平が「改革開放」として打ち出したものだ。論理の矛盾などおかまいなしに、ともかくも中国人民の生活水準を上げたい、中国を経済力のある国にしたい、そういう願いをもって毛沢東主義と決別した彼は、まさに現代中国をつくりあげた人と言ってよい。
現代中国に満足しているかに見える珠海の教授。彼には共産党への恨みがある。文化大革命のせいで、大切な青春時代のすべてを犠牲にさせられたのだ。大学生だった彼は、いきなり新疆ウィグル地区に行かされて11年間農村生活を強制されたという。「それも貴重な経験だったのでは?」と安易な気休めを言ってしまった私は、「馬鹿なこと言わないでくれ。私にとって、よいことなど1つもなかった」と一喝された。
その教授の招待で、夜は豪華レストランに行った。若い男が同席し、メニューを見ながらせっせと注文する。一見して、教授の秘書である。
ところが、この男、日本語こそできないものの、英語もフランス語も超一級。秘書にしてはすご過ぎる。すると、教授が説明した。「彼は私の意見番でね、財布でもあり、監視官でもある。私のような危険思想家は24時間監視が必要。しかし、この男は実に役に立つ」
中国の大学には共産党員がかなり多く、党員が大学の運営や教育を監視していることは前から知っていた。そこで私はこの若い男も共産党員なのだろうと思った。彼があまりに気さくなので、迷わずこう尋ねた。「あなた、党員ですよね?」
「はい、党員です。私には大学の教授に限らず、一切の公職に就いている人が人民を不当に搾取したり、収賄をしたりするのを監視する義務があるんです」彼の答えは明快そのものだった。
面白かったのは、彼がこう付け加えたことだ。「私はこの教授から多くを学んでいます。教授は共産党を嫌っているんで、なぜ嫌っているのかを理解したいんです」
彼は言った、「私たち党員は人民を管理する以上に、人民の声を聴きとる義務があるんです。大学教員なら、それなりの国家への要求があるはずで、その要求を聴いて党の上層部に伝える。そういうことをしなくなったら、共産党政権はつぶれますよ」
彼の話がますます面白くなって、こう尋ねた。「あなたにとって、共産主義って、何なんです?」
「それはですね、何よりも、人民を尊ぶことだと思います。人民を無視した政治は、共産主義であろうと、社会主義であろうと、無意味です」
きっぱりした答えを示した後で、彼は名刺をくれた。そして、こう言った。「中国人なら、この苗字を見て、私が少数民族だとわかるでしょう」
「え? あなた、少数民族?」と私が驚くと、彼はこう答えた。「かつてのソ連もそうでしたが、社会主義国は積極的に少数民族の保護をし、彼らに自治区を与えました。今もそれが続いています。ご存知かと思いますが、中国全人代には必ず少数諸民族の代表が顔を連ねているんです」
「では、少数民族としてのあなたは、どういうことを国家に期待しますか?」
またしても、彼の回答は明快だった。「少数民族の社会的地位が相対的に低いのは、彼らの多くが貧しいからです。彼らは労働しても金を稼げない。党内ではこの状態を改善すべきだという声がここ数年前から上がっています。そしてついに、貧困地帯である雲南省に農業技術指導員のチームが行くことになった。私もそれに加わるため、近々大学を離れます」
こういう若者が中国に何人いるかわからないが、彼のような若者には心から拍手をしたくなると同時に、社会主義圏では資本主義国においてよりはるかに少数民族が保護されてきたことを今さらに思った。ソ連も中国もその政治をいろいろ批判されてきたが、少数民族政策についてはもっと知られてよいのではないだろうか。アメリカの先住民は「居留地」なるところに閉じ込められ、アルコール中毒になるしかない状態である。そのアメリカをモデルに、日本が明治時代にアイヌ人の文化を骨抜きにしてしまったことを、私たちはもっと真剣に考えなくてはなるまい。
(つづく)
<プロフィール>
大嶋 仁 (おおしま・ひとし)
1948年鎌倉市生まれ。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。 75年東京大学文学部倫理学科卒業。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し、名誉教授に。関連記事
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