2024年12月29日( 日 )

中国現地ルポ-広州・杭州・長春・北京-(7)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

浙江大学

 杭州といえば浙江大学。そこには優秀な学生が全国から集まる。美しく広大なキャンパスの真ん中には大学博物館があり、そこを訪ねると大学の歴史がわかる。

 一階には歴代学長の肖像や本校出身の著名人の顔写真。中に1人だけ西洋人の顔があった。『中国の科学と文明』の著者ジョゼフ・ニーダムである。写真の下には、英語の説明がある。「浙江大学は中国における科学の一大拠点、イギリスならケンブリッジに匹敵する」というニーダムの言である。

 この大学で感心したことの1つは教育方針である。文理融合を目指して、文系の学生が理系の授業を、理系の学生が文系の授業を受講できるシステムになっている。そういうわけで、私の講演が「文学と科学」と題されたものであったことは、まことに時宜にかなっていた。

 受講生の多くは文系の学生だったが、理系の学生もいた。文学者と科学者の交流が必要だという主旨の講演の後、やたらに日本語の上手な学生が次のような質問をした。「自分は韓国からの留学生で、中国古典文献学を専攻していますが、最近の文献学はすべて定量的なもので、古典文学の最も重要な部分が抜け落ちてしまう。先生はこの傾向をどう思いますか?」

 これにはびっくりした。何年生かと聞くと、学部の2年生だという。すなわち、20歳前後だ。世の中にはとんでもない若者がいるものだ。韓国の高校を出て中国の名門大学に学び、しかも日本語がこんなに流暢。質問内容も並みではない。

 その学生には迂回して答えた。「知り合いの陶芸家はロボットにはできない焼き物をつくろうと努力している」と。文系の研究も定量分析で済むなら、ロボットで十分。それに抗するには、定性的、すなわち勘でつかめる微妙な所で勝負するしかない、と言いたかったのだ。

 もう1人日本語の上手な学生がいた。日本文学専攻の女子である。「理系の授業を受けても、理系の学生とは肌が合わない」と彼女はいう。「向こうもそう思っているかもよ」と私がいうと、「彼らには太宰治のよさがわからないんです」と答えた。

 「太宰のどこが好きなの?」と聞くと、「太宰は社会からの疎外感をうまく表現しています」と答える。「でも、中国の若者は日本の若者に比べて、疎外感があるとは思えない」というと、その学生、「先生は中国の学生の実態を知らないんです。一人っ子政策のせいで、みな自分勝手。協調性はなく、物質欲がつよく、困難を避けているんです」と明言した。

 これを聞いて思ったのは、この学生が本当に疎外感を感じているなら、ここまではっきりそれを説明できないはずだということである。あまりにも理路整然としており、心に混乱などないのだ。

 無論、そうは言っても、この学生の言っていることにも根拠はあるだろう。なるほど現在の中国は、国の経済力を上げること一辺倒で、まだ社会に出ていない若者には心の負担が大きいのかもしれない。

 私が浙江大学を訪れたのはこの講演のためだけではなかった。旧知の友人・聶(ニエ)先生がいるからだ。中国英文学会の重鎮で、今や独自の文学理論を世界的規模で展開している。その理論は私には不備があると感じられるが、先生は人物として大変立派だ。

 先生の理論は西欧の文学理論に対抗して打ち出されたものだ。それによれば、文学は社会のためにあるべきで、個人の心情や思想の吐露は本物の文学ではない。過去の文学を現在の基準で裁くべきではないが、文学は何より人と人をつなぎ、新たな倫理に導くものでなくてはならない。「西欧の理論は、文学が倫理の実現に貢献すべきだという根本を忘れています。中国には中国なりの文学観があり、それを世界に示す必要があります」と力説する。

 これを聞いて思うのは、思想史家の中村元が『中国人の思惟方法』において言ったことである。中国人はなによりも「人倫」を重んじ、過度の個人主義を戒め、過度の論理の発達をも警戒すると。なるほど、儒教はそれを思想として打ち出したものだ。その儒教が今も息づいており、それが聶先生の文学理論につながっている。

 考えてみれば、現在の中国の政治も儒教的ではないだろうか。孔子は「民衆は政治を知るべきではない」と教えている。民衆に安定した生活基盤を与えること、これを政治家は第一目標とすべきだと言っていたではないか。「衣食足りて礼節を知る」、これこそは孔子から現代へと引き継がれているものだ。

 聶先生の理論は芸術至上主義者や自由主義者からは反発を食らうだろう。それを承知で、彼は彼の信じる「中国」のために理論を打ち出している。一見して「時代遅れ」とも見えるが、そこに現代世界に挑戦する姿勢が読みとれる。「倫理」は時代遅れなのではなく、そう思う現代世界こそがおかしい。温和な先生の胸中には、きっとそうした思いがある。

 最後に先生は言った。「私の理論は開かれています。どのような批判をも受け入れ、それを肥やしに太らせていきたい。遠慮なく、問題点を指摘してください」

(つづく)

<プロフィール>
大嶋 仁 (おおしま・ひとし)

 1948年鎌倉市生まれ。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。 75年東京大学文学部倫理学科卒業。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し、名誉教授に。

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