怪物・カマチグループ創設者、蒲池真澄氏(10)
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医学界の常識を破り都心部・原宿で回復期病院革命を起こす(前)
<日本最大のリハビリテーション病院、原宿に開設!!>
私生活は極めてつつましい蒲池会長だが、事業においては大胆に打って出る。この4月には、関東地方に次々と回復期病院を開設してきた一般社団法人巨樹の会(理事長、鶴﨑直那)が、東京の一等地・原宿に日本最大の回復期病院「原宿リハビリテーション病院」を開設した。キリンビール本社ビルを改修して開設した同病院は、地下2階、地上11階建。これまでも東京圏内に病床数200床前後のリハビリテーション病院を建ててきたが、今回は病床数303床だ。
実働に先駆けて同会は、3月25日に開院式典と内覧会を開催。全国から約3,000人が集まるなど、反響の大きさがうかがえた。蒲池会長は、巨樹の会が属するカマチグループ(福岡市東区)の会長として挨拶に立った。蒲池会長はまず最初に、リハビリテーションの定義を掲げた。「何事も定義づけから入る」というのが、蒲池会長の方針だ。それによると、リハビリテーションとは「障害を受けた者を彼のなし得る最大の、身体的・精神的・社会的・経済的・職業的な能力を有するまで回復させること」。ここで「障害を受ける」とは、たとえば脳卒中や骨折など、これによって急速に生活機能が低下する疾患のことを指す。これらを発症した場合は早期治療と早期リハビリテーションが必要、とは蒲池会長が長年掲げてきたことだ。
しかし、ただリハビリを施すだけでは効果を客観的に計ることができない。そこで結果を示す基準の1つに使われるのがFIM(Functional lndependence Measure機能的自立度評価法)だ。
食事、トイレ動作、歩行、理解、記憶などの合計18項目(運動項目13、認知項目5)を1~7段階(全介助~自立)で採点し、日常的な基本動作が自分で行えるかを評価し、本人の生活を客観的に数値化するものだ。
蒲池会長は「私たちのグループでは、入院中のFIMの改善度が20点と全国平均16点を上回る。それがそのまま高い在宅復帰率へと結びついている」と説明。また、アメリカのリハビリ病院事情にも触れ、「アメリカのケスラー病院の平均入院日数は3週間と、当グループの3カ月よりかなり短期間だが、その代わり、患者が支払わなくてはならない費用は日本の3倍」と、国民皆保険制度で守られている日本の医療制度のメリットについても触れた。<リハビリ職員が足りない、だから学校をつくった>
巨樹の会は、これまでにも蒲田、小金井、赤羽と都心周辺部に病院を開設してきた。関東地方での病院開設自体は2006年、83床の千葉県の八千代リハビリテーション病院を事業継承したのが始まりだった。しかしその下準備は01年に通所介護事業所八千代デイサービスセンターが開設したときから始まっていた。同センターはカマチグループ傘下ではなく、介護専門会社の(株)シダー(本社:北九州市)が出店したものだ。代表の山崎嘉忠氏は、まだ蒲池会長が病床36床の下関カマチ病院の院長だった頃、早期リハビリこそが救急医療患者の術後の回復を促進することを、蒲池会長に示して見せた張本人だ。独立した後も蒲池会長の信頼を受けながら、介護事業の発展に邁進している。八千代デイサービスセンターは、シダーにとって初の東京出所だった。しかし出所したはいいが、そこで働くリハビリ専門職員が足りなかった。人口に比して、関東地方のリハビリ専門職員の数はあまりにも少なかった。そこで蒲池会長は、カマチグループ内で福岡看護学校を経営していた学校法人福岡保健学院で小倉、下関、八千代にリハビリテーション学院を同時開設した。これが2004年。その2年後に、八千代リハビリテーション病院を買収し、カマチグループが東京へ進出する足掛かりをつくった。
(つづく)
<プロフィール>
蒲池 真澄
学校法人福岡保健学院創設者、社会医療法人財団池友会理事長、カマチグループ会長。
1940年4月14日、福岡県八女郡黒木町生まれ。蒲池家は江戸中期から8代続いた医師の家系で、蒲池真澄で9代目となる。59年 福岡県立修猷館高校卒業、65年九州大学医学部卒業。東京虎ノ門病院でインターン(1年間)、九大大学院医学研究科、下関市立中央病院、福岡大学医学部を経て、74年に今日の池友会グループの礎となった下関カマチ病院を開院し独立した。関連キーワード
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