2024年12月28日( 土 )

中国現地ルポ-広州・杭州・長春・北京-(9)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

北京

 首都北京は今回の最終目的地である。朝起きてホテルの周囲を散歩すると、どの建物も巨大で重い。歴史の重みか、それとも権威の重みか。

 この政治の中心では、人は小さくなるしかないのかもしれない。南国広州の自由な雰囲気が懐かしくなる。とはいえ、大通りの裏には昔通りの人間生活もある。フウトン(胡同)と呼ばれる居住地域がまだ残っているのだ。一部は観光化されて俗悪になったとはいえ、その裏道を覗きこめば、まだまだ人が生きている。

 北京ではかつての教え子のQに再会した。今や国の研究機関として名高い社会科学院に務めている。ずいぶん出世したものだ。

 そのQが開口一番こう言った。「この学院には北京大学や精華大学を出た俊才が集まっています。でも、彼らの多くは凡俗な野心家か、小心な役人根性で、本当の実力とは関係ない」

 Qは学院の文学研究科・東洋文学系に属している。「東洋」とは日本・朝鮮・インド・中近東を指す。Qが紹介してくれた同僚にインド古典の専門家がいて、いで立ちからして珍妙だった。いきなり私に向かって、英語でこう言ってくる。「今の中国、国自慢ばかりでしょ?自慢するというのは、これ、悪徳でしょ?」

 返答に窮した私は、前夜ホテルのテレビで見た習近平主席が「自信回復」を強調し、中国人は自らの文化をもっと誇るべきだと強調していたのを思い出す。このインド学者はそれを疑問視しているのであろうか。

 横で聞いていたQが割って入った。「この人は老荘思想で武装する怠け者。真に受けてはいけませんよ。現政府の国風尊重政策に逆らってるふりをしているだけです」

 同僚をこのように一刀両断できるのは並みではない。しかし、言われたほうも黙ってはいなかった。にやにやあごひげをさすりながら、「私は老子ではありません。とはいえ、怠けることが勤勉より悪い、と決めつけるのは危険ですな」と言い返したのだ。

 たびたび思うのだが、中国人どうしの会話はまるで映画を見ている、いや、司馬遷の『史記』列伝を読んでいるような感じを与える。あまりに明白に思想対立が示されるからだ。アメリカなどは私的な場面では論争を避ける傾向があるが、この中国は人間が熟れているのか、何もかもが論争になる。第三者にとって、これほど面白い見世物はない。

 北京にはもう1人教え子がいる。Qと違って漢民族ではなく、朝鮮族である。常に控え目なこの人に会うのは、6年ぶり。現在は市内の某大学で日本文学を教えている。

 久しぶりの「恩師」との再会ということで、ハイヤーを借り切って北京郊外の「十三陵」まで連れて行ってくれた。明時代の国王の陵墓である。それがなぜ大事なのかと尋ねれば、「明朝は漢民族最後の王朝だったから」と答える。朝鮮族でありながら、中国の歴史を熟知している。

 「中国人は歴史に詳しいんだね」と私がいうと、「でないと、大学に入ることは難しいです」と答える。英語や数学よりも、まずは中国古典と中国史なのだそうだ。「最近は英語や数学を重視するのでは?」と聞くと、「そうでもありません」という。今は『自信回復』の時代で、なるほど書店の児童書コーナーには子ども向き『唐詩選』や歴史物語が並び、彼女の娘はまだ6歳なのに、早くも『三国志』に興味をもっているという。

 十三陵見学の後、市内に戻って喫茶店に入った。中国における文学研究の話になって、俄然彼女の眼が輝いた。「中国での研究は国策と結びつき、上からの指令で論文を書かされる。これでは本当の研究が生まれるわけがありません。もっと、自分のやりたいことを実現できる環境でなくてはならないんですが、なかなか状況は変らない」

 おとなしい彼女の口から出てくるこの批判的言辞。「こんな状況では、世界に誇れる学者を輩出することなど無理だ」、とでも言いたげであった。はたして、自然科学の世界においても同じなのだろうか。国家体制と社会の安定を最優先させれば、研究の自由も抑制せざるを得ないということか。

 彼女が言ったことで、印象に残ったことがもう2つある。1つは「だんだん世の中の声が1つになりつつある」ということ。声はいつも複数なければならないけれども、声が多すぎても社会は混乱するとも言った。

 もう1つは、「現代中国の家庭は危機に面している」ということであった。彼女の危惧は、若いカップルが共働きをし、そのために子どもを親にあずけることをためらいもせずにする現代中国の傾向についてのものであった。彼女にすれば、そうして育った子がはたして次代の社会を支えられるか、と不安なのである。

 別れ際に、彼女に尋ねてみた。「共産党に入りたいと思ったことは?」

 これへの答えも明快だった。「ありません。私も夫も、権力の座に興味ないですから」

(つづく)

<プロフィール>
大嶋 仁 (おおしま・ひとし)

 1948年鎌倉市生まれ。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。 75年東京大学文学部倫理学科卒業。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し、名誉教授に。

(8)
(10)

関連記事