2024年12月23日( 月 )

成功体験から抜け出せず 役割を終えた女性向け情報誌(前)

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(株)アヴァンティ

働く女性に焦点を当てた情報誌「アヴァンティ」の発行元として知られる(株)アヴァンティ。一時は福岡を拠点に、北九州やフランチャイズ会社を通じて熊本でも同情報誌を発刊していた。女性を中心に相応のファンを獲得していたが、インターネットを含む同業他社が台頭するなか、求心力を失い破綻という結末を迎えた。

女性がつくる女性のための情報誌

特徴的な表紙絵

 (株)アヴァンティ代表の村山由香里氏(以下、村山氏)は、九州大学卒業後、広告代理店の(株)西広に入社。フリーペーパーの草分け的存在である「エルフ」の発刊業務に携わる。その後、西広から枝分かれした(株)ガリヤに移り、編集長として情報誌「ガリヤ」の制作に従事。1993年にガリヤを退職すると、同年10月、自宅マンションで情報誌の制作・発刊などを目的に(有)ファウプを設立、代表取締役社長に就任した。

 同年12月には、女性のみ6名で情報誌「アヴァンティ」を創刊。福岡で働く女性に焦点を当てた誌面構成が特徴で、出版と並行してファウプが企画する資産運用や美容に関するセミナーを開催し読者は増加。

 98年には本社を中央区大名に移転し、2000年5月に(株)化。01年には熊本の(株)ユーブレインとフランチャイズ(FC)契約を締結したことで、「アヴァンティ」は福岡県外初進出をはたす。翌02年には北九州支社を開設し、「アヴァンティ・北九州版」の発刊を開始。「アヴァンティ」はその存在感を高めていき、創刊10周年の記念パーティーを北九州市の「門司港ホテル(現・プレミアホテル門司港)」で開催した際には、出席者約200名を集めた。福岡・北九州・熊本の3エリアでの公称発行部数は約32万部(福岡14万5,000部、熊本8万5,000部、北九州9万3,000部)に達し、06年9月期に約2億6,000万円の売上高を計上すると、同年12月、(株)アヴァンティに商号を変更した。

 村山氏は、イベントの開催に際して、「アヴァンティ」読者から実行委員を募り、イベントの企画から当日の運営まですべて任せる取り組みで読者を拡大。誌面を通じた、働く女性のための商品やビジネスマナー、企業PRといった情報発信にとどまらず、女性たちが主体的に活動できる場の提供も手がける。こうした、実際の読者と交流を深めるための活動展開も、「アヴァンティ」の人気を後押ししていたと考えられる。

広がる活動領域

 「アヴァンティ」は協賛広告を基に制作され、不特定多数に無料配布される、いわゆるフリーペーパーだ。主に、西鉄天神大牟田線の各駅や、同沿線付近の商業施設、女性社員が多数在籍する企業に無料配布されていた。無料配布先として登録されていた企業数は、福岡1万4,000社、熊本1万2,000社、北九州1万500社で、合計3万6,500社に上る(公称)。

 村山氏の事業活動は地元テレビ番組などにも取り上げられ、「アヴァンティ」同様、村山氏個人も知名度を向上させていく。そして、08年、内閣府が実施する「女性のチャレンジ賞」を受賞。これを記念して、単行本「チャレンジする女性たち」を刊行した。また、会社の経営を手がけるかたわら、村山氏は福岡女学院大学人文学部表現学科の非常勤講師も勤めた。

 これを生かし、村山氏は女性のチャレンジ賞受賞の翌年、同学科のフィールドワーク表現G所属の学生たちを支援し、フリーペーパー「+one(プラスワン)」を制作・発刊。学生たち自らが企画・制作・発刊、およびその過程で必要となる印刷会社などの民間企業との交渉まで行った。このように村山氏は、自身に与えられた立場で可能な限り、後進たちの育成にも努めていたのだ。

 村山氏のさまざまな取り組みは高く評価され、10年4月にアヴァンティの代表取締役社長を退任。経営を後進に委ね、自らは「福岡県男女共同参画センター『あすばる』」の館長に就任、初の民間企業経営者からの抜擢であり話題を集めた。

(つづく)
【代 源太朗】

<COMPANY INFORMATION>
代 表:村山 由香里
所在地:福岡市中央区大名2-6-26
設 立:1993年10月
資本金:1,000万円
売上高:(18/9)約1億1,200万円

(中)

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