2024年11月30日( 土 )

【訪韓レポート】文在寅政権と歴史認識~歪曲は放置せず、個別具体的に反論せよ

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 5月下旬から10日間ほど訪韓した。今回も痛感したのが、韓国政権の歴史認識をめぐる意図的な操作である。その端的な例が、3月1日に行われた文在寅大統領の「独立運動100周年記念式典」での演説だ。その一方で、私がかつて批判記事を書いた案件について、改善がみられるケースもあった。ソウルの最新事情を報告する。

 文在寅氏は、学問的誠実さからも、逸脱しているというしかない。3月1日の大統領演説について、案の定というか、その問題点に気づいた韓国民は少なかった。

 同運動での死者数について、大統領は「約7,500人」と言った。しかし韓国の最新学説は、そうではないのだ。国史編纂委員会が100周年を控えて研究の末、2月下旬に発表した推計は725〜934人だ。同委員会は国家機関であり、構成員は国家公務員である。ところが大統領は、この数字を採用しなかった。

 7,500人というのは事件の1年後(今から99年前)に、伝聞に基づき上海で刊行された「韓国独立運動之血史」にある数字である。どちらが正確であるかいうまでもない。(そのほかにも、大統領演説には問題点が少なくないが、ここでは言及しない)

 私が訪韓中に取材したところによると、大統領演説には国史編纂委員会の内部からも、不満の声があがった。自らの調査結果が無視されたのだから無理もない。問題はこういった事実関係が報道されず、国政の重要事項(史実に基づいた歴史認識)が文在寅政権では等閑にされているということだ。

 ある在韓日本人研究者と、この演説について話した。その人物は演説も読んでおらず、問題点にも気づいていなかった。 病状はかなり深刻である。

 「こういうのばかり、なぜ増えるのか」

 歩道を一緒に歩いていた韓国人の友人が呟いた。鍾閣交差点。1894年に起きた農民反乱の主導者の巨大な坐像が、新たに設置されていた。ここには戦前、監獄があったという。「それを120年後の今頃になって…」というのが、友人の感慨である。

 光化門広場のセウォル号記念館、日本大使館前の慰安婦、そして徴用工像。共通するのは「歴史の犠牲者」という設定である。だからといって、社会全体から敬愛されているとは感じられない。奇妙な光景が出現している。

 現代韓国人の歴史認識が、21世紀に入ってから、対日攻撃に向いているのはどうしてだろうか。少なくとも金大中時代までは、1945年以降の日本を高く評価する大統領がいたのである。

 韓国の歴史教科書は、昭和天皇や支那派遣軍司令官に爆弾を投げたり、伊藤博文を殺害したテロリストを「愛国義士」として宣揚する。しかし韓国光復軍が一発の銃弾を撃ち込むことなく、連合軍の攻撃によって日本軍の降伏を迎えた事実を明記しない。

 解放後の韓国民に最大の災厄をもたらしたのは、南侵戦争を起こした金日成であり、大韓航空機爆破事件などの首謀者である。しかし彼らに対する韓国人の「愛国義士」が登場したとの話は聞かない。

 日本のメディアでは、金大中拉致事件が映画化された。しかし朴正煕大統領夫人を殺害し、「朴正煕の悲劇」「朴槿恵の悲劇」の遠因となった文世光事件については、まともな著作がない。映画もない。これは一体どういう理由によるものなのか。そういうことに自分なりの解答を書くべく、私も自分自身を叱咤激励しなければならない。

 だが必ずしも、落胆するばかりでもなかった。かつて批判記事を書いた歴史的事件の展示について、その後、改善されていたことも確認できたからである。

 1932年、支那派遣軍司令官らを殺害負傷させた尹奉吉の記念館は、地下鉄「良才市民の森」駅から徒歩数分の場所にある。以前、私はここを取材して死傷者の無残な写真を大量に展示している無神経ぶりを、雑誌「正論」で批判した。韓国歴史研究機関の理事長を務めた歴史学者には、この件を指摘し抗議した。彼も私の報告に驚いた様子だった。

 今回、約3年半ぶりに同記念館を訪問した。内部施設が大幅に改造されているのが、すぐにわかった。写真資料が極端に減り、アニメやARなどの最新視聴覚機を使った展示が増えていた。故障中も目立つが、テロの戦果を誇るような残酷な写真展示はなかった。

 受付の女性に聞くと、昨年、展示内容が変更されたのだという。ソウルの高齢者グループがきた。上記のような点を話したうえで、テロ被害者がどのような人物だったか説明がない点を指摘した。死者には上海在住の日本人医師も含まれていたのである。

 右脚が吹き飛んだ重光葵(のちの外相)は、それでも、何ら韓国人を非難しなかった(重光「隻脚記」)。男性たちは「和解が大事だ」と言った。僕は「この10年間ほどの韓国政権は、和解に逆行している」と持論を述べた。反論はなかった。

 史実を隠蔽したり史実に反する民族主義的な言辞には、個別具体的に反論すべきである。僕の雑誌記事や苦言が、どう反映されたのか分からない。しかし、私は「やればできるのだ」と実感した。

<プロフィール>
下川 正晴(しもかわ・まさはる)

 1949年鹿児島県生まれ。毎日新聞ソウル、バンコク支局長、論説委員、韓国外国語大学客員教授、大分県立芸術文化短大教授(マスメディア、現代韓国論)を歴任。現在、著述業(コリア、台湾、近現代日本史、映画など)。最新作は『日本統治下の朝鮮シネマ群像~戦争と近代の同時代史』(弦書房)。

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