
少なくとも、『こうあるべきではないか』ということだけは、私も言わなければなりません。そうすることで、社員の皆さまが成長し、会社をさらに発展させてほしいからです。また、そのことが、今後の会社を発展に導くだけでなく、皆さまの人生にも役立つはずです」
フィロソフィを説くにあたっては、このような姿勢で話をしていくことが大切です。
私自身も含めて、フィロソフィをすべて完璧に実行できる人はいません。自分もできていないが、何とか自分のものにしようと努力を続ける行為そのものが尊いのです。
ぜひ塾生の皆さまには、フィロソフィをわかったつもりになるのではなく、従業員とともに繰り返し学び、自らの血肉と化し、経営の現場で実践していただきたいと思います。
そのようにともに繰り返しフィロソフィを学ぼうとする経営者の姿勢は、必ずや1人ひとりの従業員の心にも響き、フィロソフィの実践を促すことになるはずです。
そして、実際にフィロソフィの実践を通じて、1人でも多くの従業員がすばらしい人生を実現していく。その幸せをあたかも自分自身の幸せであるかのように感じることができる。それこそが経営者にとって最大の喜びであるとさえいえるのではないでしょうか。
極端にいえば、その従業員がたとえ自分の会社を離れることになったとしても、フィロソフィを実践して、すばらしい人生を歩んでくれれば、それでいいのです。
実際に、私はかつて若い社員との懇談会で、次のように言ったことがあります。
「京セラにいなくてもいいんです。京セラを辞めてよそに行っても、このフィロソフィで説かれたような生き様で生きていくなら、あなたにはすばらしい人生が開けていくはずです」それは私が心の底から発した言葉ですが、従業員1人ひとりがフィロソフィを真摯に実践した結果として、すばらしい人生を送ることができたならば、自分の人生を実り豊かにしてくれる場として、会社をさらに信頼してくれるようになります。そして、結果として、従業員の定着率が増すとともにモチベーションが向上し、組織が活性化して、会社は発展に向かっていくはずです。
そのように従業員から信頼される企業、また、従業員自らが進んでその発展に尽力してくれるような企業を、ぜひ皆さまの手で築いていっていただきたいと思います。
それは、従業員1人ひとりに対する深い愛情をもって、彼らを幸せにする、利他行そのものであり、そうした利他行に努めている塾生1人ひとりも必ずやすばらしい経営者人生を送ることができるはずです。
これだけ多くの経営者が従業員の幸せのために、真摯に人生哲学、経営哲学を学ぶ集団は、世界中を探してもほかに類を見ない唯一無二の存在であろうかと思います。
(つづく)