2024年12月22日( 日 )

関西電力の地元対策を仕切った高浜町の元助役~大企業が仕切り屋に頼る原点は「総会屋」にあり(前)

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 関西電力の役員ら20人が福井県高浜町の元助役、森山栄治氏(故人)から総額3億2,000万円相当の金品を受け取っていた問題で、八木誠会長ら役員7人が辞任した。関電が地元対策のとりまとめを依頼していた「仕切り屋」が元助役の森山栄治その人だった。

地元で「エムさん」と呼ばれた男

 『関西電力 反原発町長 暗殺指令』(齊藤真著、宝島社、2011年刊行)という本が話題になっている。2000年当時、核燃料を再利用する「プルサーマル計画」に反対する福井県高浜町の今井理一町長への暗殺計画があったことを暴露したノンフィクションだ。

 関電若狭支社(現・原子力事業本部に統合)のK副支社長から「襲撃指令を受けた」と、高浜原発の警備会社の元社長が告白した。K副支社長は警備会社が原発の警備ために飼育していた大型犬ペルジアン・シェパード・ドッグを使うことを提案し、「(町長の)喉元を犬に食いちぎらせたれや」などと発言したとされる。

 にわかには信じがたい内容だが、今井前市長自身も「ワシの喉笛を凶暴な犬に食いちぎらせたろういう、話や」と狙われていたことを認めている。

 K副支社長はまた、「町をうちのもんにしたらええやないか」とも発言していたといい、原発推進のために町議会の過半数の議員を関電関係者で押さえることも画策していたらしい。これほどのやりたい放題を、支社の一幹部が独断でできるわけがない。本社首脳の指示で動いたと見られても仕方ないだろう。

 警備会社の元社長は、関電と組んだ高浜町の”影の仕切り人”を「エムさん」と呼ぶ。

 〈その人は、通称「エムさん」と地元(高浜町)で呼ばれていましてな。少なくとも原発にちょっとでも関わっている者で、このエムさんを知らん奴は、モグリや、といわれるような人物なんですわ〉

 〈地元対策に長けた関電いうんは、最初から、その地元の実力者を抱き込んで、反対する奴なんかを封じ込めてしまうんですな。あとは、利権やなんやかんやあるでしょ?原発の町には。そういうんを、誰にも文句いわさんように(言わせないように)、あらかじめ実力者の「エムさん」を通して、地元に配分させるようなことをするんですわ〉

 この「エムさん」が、関電の首脳陣に”原発マネー”をキャッシュバックした福井県高浜町の元助役・森山栄治氏(今年3月90歳で死去)その人なのだ。関電が地元対策のとりまとめを依頼した「仕切り屋」だったのである。

 大企業と「仕切り屋」の関係を歴史に遡って振り返ってみよう。 

株主総会を円滑に進めるための「仕切り屋」が総会屋

 「総会屋」――。大企業が年に1度の儀式である株主総会を円滑に進めるために依頼する「仕切り屋」が総会屋である。総会屋が、大企業と「仕切り屋」が腐れ縁で結びつく原点だった。

 城山三郎がデビュー作『総会屋錦城』を著したのは1958年。その年の直木賞をとった作品によって総会屋なる存在が広く知られるようになった。このモデルは久保祐三郎と見なされている。

 久保は戦前からの総会屋で、60年代初頭まで、総会屋の世界は久保祐三郎と田島将光が仕切っていた。久保は株主総会の表舞台に登場せず、舞台裏で活躍した。何かトラブルが起きても彼が間に入ると、たいていのことは収まった。久保は総会屋稼業の調整役、仕切り屋である。その久保が1968年に亡くなった。

 久保祐三郎の死によって、総会屋稼業は戦国時代に突入した。台頭してきたのが、暴力団や右翼を背景とする武闘派総会屋。ケンカに体を張る戦闘集団である。

 新たに総会屋の世界を牛耳るドンとなったのが、右翼の大物、政界の黒幕、経済界のフィクサーなどと呼ばれた児玉誉士夫である。大野伴睦、河野一郎といった党人脈が政権を取れなかったことから政権の黒幕としての地位が低下した児玉は、総会屋の世界に進出して巻き返しを図った。財界人は児玉の名前を聞いただけで震えあがった。

転換点となった三菱重工業事件

 1970年代は総会屋の全盛時代である。総会屋を育てたのは企業である。当時、反公害、ベトナム戦争の反戦運動が盛り上がり、公害企業や軍需産業がターゲットにされた。企業が総会屋と腐れ縁をもつターニングポイントになったのが、三菱重工業の事件である。

 兵器をつくっていた三菱重工にはベトナム反戦を叫ぶベ平連などが、1株株主として株主総会に押し寄せてきた。三菱重工業社長の牧田與一郎は、大物総会屋の嶋崎栄治に応援を頼んだ。嶋崎は傘下の総会屋を総動員した上、ゲバルト部隊として右翼・暴力団に支援を要請した。暴力でべ平連を蹴散らし、1株株主運動を封じ込めたのである。

 この時、総会屋は、株主総会の進行係から、企業の用心棒へ変質していった。暴力団が総会屋の世界に入り込むようになったのも、このときからだ。

 「暴力団は総会屋という鵜飼いの鵜を使い、大手企業の極めて優良な金ヅルを掴める。一方、総会屋にとっても、暴力団という恰好の後ろ盾ができた」。組織犯罪問題の第一人者であるジャーナリストの溝口敦は暴力団と総会屋の関係をこう喝破した。

(敬称略:つづく)
【森村 和男】

(後)

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