2024年12月22日( 日 )

前進し続けた人生、80歳からどう生きるか

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(株)アダル 会長ファウンダー 武野 重美 氏

■自ら中国に渡り、工場を成功に導く

 1953年の創業以来、長年にわたり絶大な信頼を寄せられている業務用家具メーカーであるアダル(株)は、生産工場の中国進出を成功させたことで現在の地位を確固たるものとした。

 中国に進出した企業の多くが数年後には撤退するという非常に厳しい市場環境ながら、アダルは96年に合弁会社を設立して以来、数々の苦難に直面しながらもそれを乗り越え、中国工場を成功させた。19年には新工場も設立するなど、着実に業績を上げている。

 この中国事業成功の要となったのが、会長ファウンダー武野重美氏(以下、武野会長)であり、現在も、多くの時間を中国の工場で過ごしている。「即断即決が求められる中国には経営トップが自ら現地に赴き、決断することが不可欠」とし現地に居を構え、日本と中国の商慣習の違いや中国人労働者に自ら向き合い、中国工場を成功に導いた。

 中国工場で生産される商品は、海外市場での販売もあるが、そのほとんどは日本市場用の商品。つまり中国工場は単なる海外事業部などではなく、製造メーカーである同社の要となる核事業。国内市場で確固たる地位を築いた同社が今後も発展を続けるために欠かせない事業であった。

 中国での成功のために、現地入りした武野会長は自ら工場のレイアウトや機械設備の配置、作業工程の管理などを行うとともに、従業員へは作業手順など細部に至るまで職人の技を伝授し、着実に製造効率と精度を高めた。

■日本と違うものの考え方、慣習、家族関係、このなかで葛藤し続けた武野重美はどう変わったか

 中国での成功をはたすまでに幾多の困難やトラブルに遭遇しながらも、解決策を模索し一歩ずつ前進を重ねた。また考え方や慣習の違いに直面。日に日に「身内意識が強い中国での成功には中国人の身内の存在が不可欠」と考えるようになった武野会長は、現地でパートナーを募集したところ、運よく張さんという聡明で勤勉な女性との縁に恵まれ、中国工場を支える礎を築くことができた。現在、中国法人の社長を務めるのは張さんの実姉で、元中国政府の高級官僚で、政府機関の責任者や国営企業の社長を歴任した人物だ。人にも恵まれた武野会長は、家族ぐるみで中国事業を成功に導いた。

 現在、中国工場の経営は張社長に任せられるようになり、宇美町(福岡県糟屋郡)に計画中の新規国内工場の立ち上げに力を注ぐ。新規工場では製造工程の集約により年間数千万円のコストダウンが見込まれ、同社の業績はさらなる発展を遂げることとなる。

 この新規工場設計では現場を取り仕切ることになる課長の意見やアイデアを組み込みながら立ち上げに向かっている。すでに取締役も返上し、名誉職としてアダルを支える立場となった今、自らの長年の経験と技術を伝え、同社に浸透させていくのが武野会長の狙い。

 最初のプランは武野会長が出し、それに対しての各部署の課長や責任者からの意見集める。彼らから出たアイデアや意見に対して、その理由や工程への影響など、細部にまで議論を掘り下げることで、現場の意見を取り入れていく。一課長にできない総合的な判断は武野会長が行うが、それぞれの部署については課長たちの意見を聞いて取り入れていく。このやり方は自らの職人としての考え方を伝えながら若手の意識を高めて育成に繋げられる効果的な手法で、武野会長はこれまで一貫してこのやり方で後進を育成してきた。

■80歳からの武野重美はどう生きるか

高級な家具が並ぶリビング
高級な家具が並ぶリビング

 中国工場が軌道に乗り、国内新規工場も来年には完成を迎えるなか、80歳の武野会長は、仕事一筋で、もてる力の100%を仕事に注ぎ全力疾走してきた人生を転換し、少しスピードを緩めようと考えている。

 ここ数年は、力の2/3を中国工場に、1/3を福岡工場に注いできたが、今後は中国1/3、福岡1/3にし、残りの1/3は家族との時間を大切にし、自分の人生を楽しもうと考えている。完全に引くのではなく、少し手を緩めて一部を自分の人生に費やすのだ。

 2020年には那珂川市にある自宅の建替えを計画している。建坪は56坪から100坪に拡張し、庭園や駐車場なども含めて、ゆっくりと過ごせる空間へと変貌させる。近所の人とお茶を飲んだり、鯉を眺めたりできる環境も整える。

庭園の池には鯉も泳ぐ
庭園の池には鯉も泳ぐ

 常に前を見て「前進」を続けてきた武野会長にとっては、この決断も「前進」であるという。「80歳になったから残りの人生を…」ではなく、80歳になって「次の10年間どう生きるか」、そしてその次の10年と、人生を充実させ続けるためのプランとして考え出されたのが、住環境の充実だという。

 武野会長は、今後の仕事への力配分は変えながらも、「少なくとも90歳までは現役」と力を込める。そして90歳になったら、「また次の10年を考える。私の人生は、前にしか向いてないんです。」と笑顔を見せる。

どんなに失敗しても絶対にあきらめず、成功するまでとことんやってきた武野会長は、「人の2倍は働いてきた」という人生を仕事以外の面にも向けて、これからも充実した日々を過ごしていくであろう。

新居の図面をチェックする武野会長
新居の図面をチェックする武野会長

<プロフィール>
武野 重美(たけの・しげみ)

 1939年、宮崎県生まれ。59年、福岡のイスヤ商会に就職後、先代の逝去によって代表取締役に就任。91年に(株)アダルへ社名変更し、業務用家具業界で知られるようになる。現在の肩書は「会長ファウンダー」で福岡と中国を往復しながら、世界を舞台にアダルブランドの発展に努めている。

【吉田 誠】

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