2024年11月25日( 月 )

【検証】「ゴーン国外脱出」~「ゴーンは日本の刑事裁判から逃げた」との論評について(後)

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論理的な選択肢

 裁判の進行について責任があるのは当然裁判官であり、それは具体的には訴訟指揮権と称される。そして極めて当然のことであるが、訴訟指揮は刑事訴訟法ほかの法令に従ったものでなければならない。

 現在は司法取引をめぐる証拠開示で弁護団と検察が対立して公判期日が決められない状況である。しかもすでに1年2カ月も起訴から経過している。これは明らかに裁判官の訴訟指揮権の不当行使である。裁判官が検察に証拠開示を命令しさえすれば、極めて早期に公判は開始できた。公判開始の遅れは裁判官の検察擁護の訴訟指揮が原因と断定できる。

 従って、ゴーンの法廷出頭の可否を論じる前に、まず、公判期日の決定を裁判所はしなければならない。一見ゴーンの出頭が不可能ないし見込まれないのに公判期日を決定しても無意味であるとの批判がありそうだが、それは、公判期日に被告人の出頭が絶対条件であるとの法令の誤解に基づく。物の順序はまず、公判期日を決定することである。これはゴーンが出頭できるかできないかとは関係のない事項だからである。公判期日を決定したら、次にゴーンが出頭できない事実について法的にどのような選択肢があるかを考えることになる。

 仮定の話になるが、ゴーンをレバノンの法廷に出頭させることも超法規的な措置として考えられる。かつて田中角栄元総理大臣の裁判で、超法規的措置で、外国議会での公聴会での証言を裁判所での証言と同じ扱いをした事例もある。法

 廷に出頭させることにどのような意味があるかも考えないで議論するなら、せめて、外国の裁判所に出廷させてもよいはずだ。

 ゴーンが期日に出頭できなくても、実際の審理にはまったく支障がないことが重要である。この事実を、検察は無論、テレビ解説の著名弁護士らは無視した。だから、当然の如く、公判はひらかれないと結論づけたが、公判は開けるのである。問題は、ゴーンがいなければ本人のいない裁判で、欠席裁判をした、との非難の可能性があるだけである。

 しかし、それはゴーンの権利の侵害の主張であるから、ゴーン自身が容認すれば、まったく問題のないことである。つまり、ゴーンに出頭しないでも裁判を開くと通知すれば済むことである。しかし、検察と裁判所は何とかして裁判を開かず、それをゴーンの責任、ゴーンの国外逃亡の結果だとしたいに違いない。しかし、残念ながら、そのような、こじつけ論理の成立する余地はない。被告本人が在廷しないでも公判をひらくことができる条文が現に存在するからである。

 法律上の順序は、まず公判期日を決定することである。検察と裁判官はこれに対して意味がないと反対する。それは、被告人の出頭を大前提とした謬論であるが、現実には公判期日の決定をしないまま、裁判を終結させる訴訟指揮をする可能性が大である。そこで、裁判官にどのような選択肢があるかを考察する。ただし、裁判官には次には公判期日を指定する権限しかなく、すべて、法的根拠のない、訴訟指揮となる。

(1)公判手続きを停止する。刑訴法の規定する公判手続き停止の要件は、期日指定「後」被告人出頭に阻害事由が発生した場合で、しかもその停止は阻害事由が消滅することを前提としており、阻害事由消滅後は公判手続きを再開する規定となっている。裁判官が公判手続きの停止決定をしたら、当然、ゴーン弁護団は不服申立てで争うことになる。

(2)公訴棄却とする裁判について本案審理をする条件が具備されていない場合の法的処分であるが、これはゴーンの裁判を受ける権利を否定するものだから、当然弁護団は争うことになる。

(3)ゴーンが出頭できるまで何も決定しない裁判官は一定の期間で転勤する。これを利用してなにもしないという「奥の手」を使う可能性も否定できない。

 以上、いずれにせよ、裁判所が何もしない場合を含め、裁判所の決定に対してゴーン弁護団は裁判所の訴訟指揮を争うことは必至である。これはすべて、人質司法に失敗し、確たる証拠をもたない検察の「悪あがき」とそれをささえる裁判所の不公正な訴訟指揮の結果である。これから裁判所の訴訟指揮をしっかり監視しなければならない時期に、ゴーンの逃亡とゴーンの守銭奴ぶりに注目する日本のメディアの「見当違い」には付ける薬がない。

(了)
【凡学 一生】

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