2024年12月04日( 水 )

「最後のバンカー」元三井住友銀行頭取の西川善文氏死去~戦後最大の経済事件「イトマン事件」を振り返る(1)

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 三井住友銀行初代頭取や日本郵政初代社長を務めた西川善文(にしかわ・よしふみ)氏が9月11日に死去した。享年82歳。各メディアは、即断即決と強力なリーダーシップで金融危機下の銀行経営を先導し、「最後のバンカー」と言われた西川氏の評伝を載せた。バブル景気の後、中堅商社イトマン(株)の不良債権問題の処理に奔走したことが、バンカーとしての最大の仕事だったといえる。改めて、「イトマン事件」を当事者たちの回想を基に振り返る。

「ラストバンカー」は断言。イトマン事件は親ばかが原因

 1991年に大阪地検がイトマン事件を摘発した。闇勢力が、大阪の老舗商社イトマン(伊藤萬)をむしばみ、住友銀行に駆け上がろうとしたイトマン事件は、あらゆる意味でバブル時代を象徴する経済事件である。

 「3,000億円が闇に消えた」といわれたイトマン事件の登場人物は多彩。銀行マン、政治家、官僚、企業経営者、総会屋、フィクサー、仕事師、暴力団などが登場して、壮大な人間ドラマが生まれた。

 元住友銀行頭取の西川善文氏は『ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録』(以下、回顧録)(講談社)で、イトマン事件について書いた。住銀の首脳がイトマン事件を口にしたのは初めてだ。

「今まで私も含めて誰も住友銀行関係者は語ってこなかったことがある。この機会にあえて申し上げよう。イトマン事件は磯田(一郎)さんが長女の園子さんをことのほか可愛がったために泥沼化したのだと私は思う。

 私は磯田園子(原文ママ)さんと直接話した機会はなかったのだが、磯田さんの溺愛ぶりを示す、こんなことを耳にしたことがあった。後に結婚することになるアパレル会社社長の黒川洋氏と磯田園子さんがロサンゼルスに駆け落ちした。それを認めるわけにいず困っていた磯田さんは、秘書を派遣して2人を連れ戻させたのだ。磯田さんの秘書は園子さんに振り回されて、本当に苦労したようだ。

 そういう磯田さんに、父親として娘の事業を後押ししたい気持ちがなかったわけがない。磯田さんが溺愛していることを知って、イトマンの河村(良彦)社長も伊藤(寿永光)常務も彼女の面倒をよく見ていたようだ」

「闇社会の守護神」も「住銀の天皇」の娘可愛さが出発点と回想

 “磯田天皇”の娘可愛さがすべての出発点――。西川氏とは対極にあるイトマン事件の主役、伊藤寿永光氏や許永中氏と親しかった元特捜検事で弁護士の田中森一氏は自伝『反転―闇社会の守護神と呼ばれて』(幻冬舎)で、同じ見方をしている。

「田中氏は事件にかかわった当初、住銀が5,500億円を優に超える資金をイトマンになぜ投じたのか、不思議でならず、まったく理解できなかったという。

 伊藤や許、その関係者の話を聞いているうちに、なんとなく合点がいった。つまるところ、イトマン事件は、住銀の天皇、磯田の親ばかが、原因だったのではないか。娘可愛さの度が過ぎた結果、起きてしまった事件ではないだろうか。裁判にかかわった関係者のあいだで、このような見方は少なくない。それほど磯田の娘に対する寵愛ぶりは有名だった。

 磯田の長女、黒川園子は西武セゾングループの「ピサ」という高級宝飾品販売会社で嘱託社員として働いていた。そこへ出入りするようになったのが伊藤寿永光である。

 東京の住銀会長宅に通いつめる伊藤を、磯田は自分の息子のように可愛がっていた。磯田邸に入り浸っていた伊藤は、磯田と住銀首脳との密談を隣室で聞いたことまであったという。当然、娘の園子とも親しくなったのだろう。真偽は定かではないが、伊藤と園子の男女の仲をささやく裁判関係者も少なくなかった」

 

(つづく)

【森村 和男】

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