「最後のバンカー」元三井住友銀行頭取の西川善文氏死去~戦後最大の経済事件「イトマン事件」を振り返る(4)
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西川善文氏が「住銀の天皇」磯田氏追い落としのクーデターを強行
西川氏は前出の『回顧録』で、「(私が)磯田一郎にとどめを刺した」と書いている。
「磯田の個人的問題の制で、住銀全体が危うくなるなど絶対に許せない、と思った。巽(外夫)頭取に『磯田さんを早く辞めさせてください』と怒鳴ったこともあった」
1990年10月13日。土曜日。常務企画部長だった西川氏は緊急の本店部長会を招集した。西川氏が前面に出ると、企みがばれる可能性がある。企画部次長に電話をさせ、用件も何も言わずに緊急部長会の招集を通知した。
結婚式などでどうしても都合がつかなかった2、3人を除く部長全員が、東京の信濃町にある住友銀行会館に顔をそろえた。皆の前で、西川氏はこう言った。
「『現在のイトマン問題と磯田さんのことをあなた方はどうお考えですか。お1人お1人意見を聞かせてください』
朝の10時から午後の2時頃までかかっただろうか。全員からたっぷり意見を聞いた。実に多様な意見があった。
共通して出たのは、磯田会長は口先だけでなく早期に辞めるべきだ、それを巽頭取から磯田会長に言ってもらわねばならないということだった。
(中略)全員の意見を集約するかたちで磯田会長退任要望書をまとめた。印鑑をもっている人は印鑑で、もっていない人は朱肉に指をつけて全員が押印した。昔でいうなら血判状である。そのなかには磯田さんの秘書を務めた人物もいたし、それぞれ万感の思いが去来したに違いない。しかし、全員異論はなかった。欠席した人には電話で伝えた。銀行のために今ならなすべきことは何か、皆一致した」このクーデターが、磯田氏の追い落としの決め手になった。
「向こう傷を恐れるな」と行員を叱咤、「住友の天皇」と恐れられた磯田一郎・元会長は93年12月3日に亡くなった。享年80。老人性認知症で入院し、食事をしたことも忘れて介護人に叱られる晩年だった。住銀の役員クラスが見舞いにきたことは、一度もなかったという。磯田氏はイトマン事件について一言も語ることはなく、墓場までもっていった。
もう1人の主役である伊藤氏に、百戦錬磨のバンカーである磯田氏をいかにして篭絡したかの回想録を、ぜひ書いて欲しいものだ。
(了)
【森村 和男】
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