【企業研究】ロイヤルホールディングス~コロナ禍で飛行機が飛ばず、創業事業の機内食事業が壊滅的な打撃!(3)
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外食大手の2020年7~9月期決算では、主要13中5社が最終赤字だった。新型コロナウイルスの影響による落ち込みは4~6月期で底打ちしたと見られていたが、人件費や賃料抑制など合理化が追いつかない企業が赤字となった。
ロイヤルホールディングス(株)の7~9月期の最終損益は54億円の赤字(前年同期は9億9,300万円の黒字)と、13社中の赤字幅はもっとも大きかった。ロイヤル“1人負け”の状態だ。「ファミレスの王者」ロイヤルに何がおきているのか?板付空港で、日航第1号機に機内食を運ぶ
ロイヤルHDは、何ごとも業界に先駈けて実施してきた。それは、創業者の(故)江頭匡一(えがしら・きょういち)氏の遺伝子である。江頭氏は1923年3月25日、福岡県三潴郡城島町(現・久留米市)で生まれた。飛行機乗りを志したが敗戦。明治大学専門部を中退し、46年に米軍春日原ベース内のPX(売店)でコック見習いからスタート。朝鮮戦争特需によりベース事業で蓄えた資金を元手に製パンに進出した。
51年、飛行機好きの江頭氏の心を揺さぶる大きな出来事があった。民間航空の再開だ。江頭氏は、機内食について日本航空と契約を結び、同年10月25日、日航1号機が就航した。江頭氏は日本経済新聞の『私の履歴書』(1999年5月に連載)でこう回想した。
〈最初に板付の空港に降り立った乗客はわずか17人だった。(中略)機内食も当初はサンドイッチをふろしきで包み、魔法瓶入りの紅茶を客室乗務員に渡すというもの。〉
ロイヤル(株)は機内食を創業事業と位置付けている。
大阪万国博の米国館に出店で大成功
53年、福岡市の中洲にフランス料理店「ザ・ロイヤル」(後に「花の木」と改称)を開業。オープンして3カ月後、新婚旅行で来日したマリリン・モンローとジョー・ディマジオが来店して気に入り、3日続けて通ったという。
59年、福岡市天神の新天町にファミリーレストランの草分けとなる「ロイヤル新天町店」を出店し、他社に先駈けてセントラルキッチン(集中調理工場)方式やフランチャイズ制を導入した。この方式が、その後の外食産業の多店舗展開のモデルとなる。
最大の転機は、70年の大阪万国博覧会。米国ゾーンへの出店を辞退したハワード・ジョンソン社の代わりとして、駐日米国大使館からの出店要請があったのだ。米国館には、アポロ宇宙船が持ち帰った「月の石」を一目見ようと長蛇の列ができた。
〈店では毎日、ステーキが2,000枚、ハンバーグも2,000枚というような盛況ぶりだった。当初は、約6カ月の会期中に7億円の売上高があればトントンと踏んでいたのに、締めてみると軽く11億円を超えた。〉
(「私の履歴書」)大阪万博での成功をバネに、郊外型ファミリーレストランに進出。71年12月、北九州市黒崎にロイヤルホスト第1号店を開店した。モータリゼーションの到来を読んだ積極的な出店で大当たりし、全国ブランドとなったロイヤルホストはファミレスの代名詞になった。
「外食王」と呼ばれた江頭氏は2005年4月13日、肺炎のため82歳で死去した。彼は息子を後継者にせず、産まれたときから知っている榎本一彦氏を後継者とした。
〈子どものころからのガキ大将で、何もやらせてもリーダー的役割をしていた〉(同)ことを評価した。創業者が自分の子どもではなく、第三者に継がせたことも業界の先駈けをなすものであった。しかし、江頭氏は当時、これがお家騒動の火種になるとは、知る由もなかっただろう。
(つづく)
【森村 和男】
法人名
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