2024年12月23日( 月 )

【企業研究】三越伊勢丹HD vs J.フロント~百貨店の王道を歩む三越伊勢丹、脱・百貨店へ突き進む大丸松坂屋(3)

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 新型コロナウイルスの感染拡大が個人消費に与えた影響は大きい。テレワークの広がりや外出自粛で都心部の集客力が低下した。百貨店が受けた打撃は大きくて深い。名門百貨店の復活はなるか。(株)三越伊勢丹ホールディングスと、大丸と松坂屋を傘下にもつJ.フロントリテイリング(株)を取り上げる。

松坂屋と経営統合し、脱・百貨店の先陣を切る

 大丸は2007年9月、松坂屋を傘下にもつ松坂屋ホールディングス(HD)と経営統合し、共同持株会社J.フロントリテイリングを設立。奥田氏は社長兼最高経営責任者(CEO)に就いた。会長には松坂屋HDの岡田邦彦会長が就任した。2人は同じ三重県出身で親しかった。奥田氏が、飛び乗った新幹線の指定席で偶然、岡田氏と隣り合わせ、そのときの話し合いが合併のきっかけになった、というエピソードがある。

 社名の「J」は日本の、「フロント」は先頭を行く、「リテイリング」は小売業である。強い決意を込めて、こう名付けた。

 奥田氏は脱・百貨店の先陣を切った。老舗の暖簾と伝統を守るために、変わることの必要性を説いた。「従来のやり方では百貨店は駄目になる。枠にとらわれない新しいビジネスモデルを構築する」と強調した。

 奥田務J.フロント社長と山本良一大丸社長の2トップが2人3脚で、既存の百貨店とは異なる新しい百貨店のモデルづくりに取り組んできた。

 山本氏は明治大学商学部で体育会のバスケットボール部に所属。主将として全日本学生選手権で3連覇をはたした。学生チャンピオンになった達成感は、目標をもつことの重要性を教えてくれた。2番手はダメなのである。

 03年、52歳の若さでヒラ部長から12人抜きで社長に抜擢された山本氏は、日本一の新百貨店を目指すことになる。

 脱・百貨店を進めてきた奥田=山本コンビは、新しい百貨店モデルを見つけた。J.フロントは12年、都心でファッションビルを経営しているパルコを買収した。若者向けのテナント運営のノウハウをもっているパルコを新百貨店モデルの柱に据えるためだ。

 奥田氏が掲げる新百貨店モデルとは、百貨店のパルコ化、都心型ショッピングセンター化である。新百貨店モデルの骨格がきちんと出来上がったことを見届けた奥田務氏は13年4月、J.フロントの相談役に退き、「奥田氏と長年連れ添ってきた夫婦のよう」といわれた山本氏が持株会社の社長に昇格した。

松坂屋銀座店は都心型ファッションビル「GINZA SIX」に生まれ変わる

ギンザシックス 17年4月20日、東京・銀座中央通りに面する銀座6丁目に巨大高級商業施設「ギンザシックス(GINZA SIX)」がオープンした。J.フロントの中核企業である松坂屋銀座店の跡地を中心に開発した。総事業費830億円。

 一方で、銀座最古の百貨店、松坂屋は姿を消した。松坂屋銀座店は1924年に開業した銀座で最初の百貨店だった。日本で初めてエレベータガールを導入するなど、人の目を引く仕掛けを次々と考案した。

 松坂屋銀座店は「ギンザシックス」に生まれ変わった。それは、本格的な脱・百貨店の領域に踏み込んだことを意味した。従来の百貨店ではなく、テナントビルへ転換する道を選んだ。

 「新百貨店モデル」の旗艦店として、東京・銀座のど真ん中に都心型ファッションビルを造ったのである。

 20年5月、J・フロントの山本社長が退任し、後任に大丸松坂屋社長・好本達也氏が昇格した。好本氏は慶應義塾大学経済学部卒。奥田氏や山本氏と同様、大丸の出身だ。ギンザシックス、大丸心斎橋店本館の改装やパルコの完全子会社化など、賃料主体の不動産型ビジネスモデルを強化する脱・百貨店が一段落したことから、バトンタッチした。

テナント運営の不動産モデルにシフト

 好本社長の使命は、脱・百貨店の総仕上げである。

 大丸心斎橋店は大丸最大の旗艦店で再開発に5年をかけた。J.フロントが追及してきたのは「百貨店の未来」だ。総額500億円を投じ、本館を建て替え、北館にパルコを導入した。そしてビジネスモデルも、日本の百貨店経営の前提だった「消化仕入れ」と呼ばれる販売手法を大きく見直した。

 消化仕入れの売り場では店頭商品は取引先の在庫となり、商品が売れて百貨店の仕入れになる。商品が売れて始めて百貨店が仕入れたことになる。売れ残っても百貨店には損失が出ない。そのため、百貨店は「場所貸し業」といわれてきた。

 前出の『日経MJ』のインタビューで、好本社長は「奥田(務・元会長、現在は特別顧問)からは何度も『君たちがやっている売り上げ仕入れ商売は不動産業なんだよ』と言われてきました。『実態は不動産業なのにバイヤーとかマネージャーとか百貨店ごっこみたいなことをした、早く気づきなさい』ということでしょう」と語っている。

 19年秋に建て替えた大丸心斎橋店本館は、消化仕入れ売り場を大幅に圧縮。旗艦店としては異例のテナント比率65%を達成した。日本の百貨店の一般的な売上仕入れ(消化仕入れ)のモデルから、テナント運営の不動産モデルに思い切ってシフトした。

 脱・百貨店は、コロナ禍の業績を牽引した。20年3~11月期の事業利益は、百貨店事業が53億円の赤字なのに対して、パルコ事業は24億円、不動産事業が30億円の黒字。パルコと不動産が百貨店の不振を補った。最終損益が三越伊勢丹に比べて少なかった要因だ。

 好本社長が次なるターゲットとして見据えているのが、松坂屋の発祥の地で、グループ最大の旗艦店、松坂屋名古屋店(名古屋市)だ。グループの国内百貨店は、博多大丸(福岡市)など16店あるが、今後はテナントの拡大、パルコ化が検討されることになる。

(つづく)

【森村 和男】

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