【再掲】2050年代を見据えた福岡のグランドデザイン構想(3)~新福岡空港建設プロジェクトは、なぜ実現に至らなかったのか?
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C&C21研究会 理事 下川 弘 氏
1968年8月、当時の商工会議所会頭が新空港の提案をしてから、現在に至るまでの約50年の間に、福岡空港問題の新空港論議には、大きく3つの波(タイミング)があった。
1つ目の波は、「九州国際空港」の検討時期(87~96年)である。
89年10月、九州地方知事会と九州・(一社)山口経済連合会は意見交換会において、「九州国際空港」の研究・検討の場を設置することに合意し、これを受けて90年3月に九州国際空港検討委員会を設置。4,000mの滑走路2本、敷地面積1,000haの国際ハブ空港構想を「第7次空港整備五箇年計画」に盛り込み、2020年に開港することを目指すと提案された。
しかし、九州地方知事会では、「『九州国際空港』という名称であるならば、別に福岡でなくても良いのではないか」「熊本に(長崎に)(佐賀に)誘致したい」――という地域エゴが露骨に表れた意見がぶつかり合った。まさに「我田引水」ならぬ、「我県引空港」だ。その結果、九州地方知事会では結局、候補地がまとまとまらなかった。
さらには、福岡県内の国会議員のなかでも、「北九州」「福岡」「有明湾」にと、それぞれ候補地の意見がわかれた。最終的に96年に賢人会議に委ねられたものの、当時の運輸大臣に具申するにとどまり、国の交通政策審議会航空分科会答申には何ら言及されなかった。
2つ目の波は、「新福岡空港基本構想」の検討時期(96~2003年)である。
先の「九州国際空港」論はなくなったが、その一方で現実問題として、滑走路1本のみの福岡空港の容量が逼迫し始めていた。
そこで01年に福岡県・福岡市・経済界で「福岡空港将来構想検討委員会(CONFA)」を立ち上げ、「新福岡空港」の基本構想をまとめた。このときの案は、「新宮・津屋崎沖に3,500mの滑走路を2本備えた560haの海上空港を整備する」というものだった。
しかし、財政赤字による建設費の地元負担や、新空港反対派の台頭などの要因により、知事再選への影響を考えた麻生渡・福岡県知事(当時)が、基本構想案を白紙撤回するに至った。3つ目の波は、「福岡空港の総合的調査」とPI手法(※)による検討時期(04~09年)である。
このときは、国・県・市による「福岡空港調査連絡調整会議」が設立され、PI手法により福岡空港の総合的調査が4年にわたって行われた。しかし、大規模公共工事に対する風当たりがピークに達しているなかで、麻生知事と吉田宏・福岡市長(当時)が対立。また、地元国会議員の“ハシゴ外し”などもあり、結局は「現空港での滑走路増設」を地元意見として、国に提出したのである。
(つづく)
※PI手法
Public Involvement(パブリック・インボルブメント)。公共事業の構想から計画策定、事業立案、実施に至るまで、広く住民の意見・意志を調査し、かつその過程の透明性を確保する仕組み ^
<プロフィール>
下川 弘(しもかわ・ひろし)
1961年生まれ、福岡県出身。熊本大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程を修了後、87年4月に(株)間組(現・(株)安藤・間)に入社。建築設計第一部や技術本部、総合企画本部企画部などを経て、99年1月には九州支店営業部に配属。その後、建築営業本部やベトナム現地法人、本社土木事業本部営業部長などを経て、2020年9月から九州支店建築営業部営業部長を務める。社外では99年9月からC&C21研究会事務局長(21年8月から理事)を務めるほか、体験活動協会FEA理事、(一社)日本プロジェクト産業協議会の国土・未来プロジェクト研究会幹事、(一社)防災教育指導協会顧問など数々の要職に就いている。関連キーワード
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