2024年12月23日( 月 )

大王製紙、「ギャンブル狂」御曹司の復讐!(前)

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 『熔ける 再び そして会社も失った』(幻冬舎)の広告が7月1日付の新聞に大きく掲載された。著者は、カジノに子会社から借りた総額106億8,000万円の資金を費やし、会社法違反(特別背任)の罪で2013年2月に懲役4年の実刑判決が確定、3年超服役した大王製紙前会長・井川意高氏。広告には、「ギャンブルよりも血がたぎる、現会長佐光一派による井川家排除のクーデターが実行されていた」とおどろおどろしい文字が躍る。復讐するために出版したというのである。

佐光正義会長の唐突な退任

バカラ賭博 イメージ    報道各紙は6月30日、大王製紙(株)は29日の定時株主総会に諮る予定だった、佐光正義会長の取締役再任案を撤回したと報じた。前日までの議決権行使の状況から過半数の賛成を得られないと判断。佐光氏から候補を辞退すると申し入れがあった。再任案を総会直前に撤回する異例な事態となった。

 総会では、佐光氏以外の若林頼房社長ら11人の取締役選任がすべて承認可決された。佐光氏は取締役から外れて会長職も退き、名誉顧問に就いた。

 佐光氏は11年に社長に就任し、21年4月に会長に就いていた。11年に発覚した創業家出身の井川意高・元会長によるカジノ資金のための巨額借り入れ事件を受け、「創業家支配」からの脱却を掲げて社内風土改革を進めてきた。

 一方で、佐光氏は、大王株の約24.8%を握る筆頭株主である北越紀州製紙(株)(現・北越コーポレーション(株))と企業運営をめぐって対立した。北越は大王の創業家である井川家から株を譲り受け、筆頭株主となった。

 北越は大王が発行した新株予約権付社債(転換社債=CB)により株価が下がり損害を受けたとして、佐光氏ら発行時の経営陣に損害賠償を求めた訴訟を起こした。これまでの総会では佐光氏の取締役再任に反対票を投じてきた。

 創業家支配からの脱却を目指す佐光氏と、北越との対立の構図である。佐光氏の唐突な辞任は、井川意高氏の”暴露本”出版が引き金になったようだ。

「バカラ」賭博にのめり込む

 大王製紙の“中興の祖”井川高雄氏(大王製紙元社長)は19年9月19日、心不全のため死去した。82歳。カジノ狂いの「ドラ息子」井川意高元会長と、創業家を排除する佐光正義社長に対する憤死といわれた。

 大王製紙は、新聞用紙、段ボール原紙など産業用紙のメーカーだったが、創業家の二代目である高雄氏は家庭紙に進出。ティッシュペーパー「エリエール」は、今では大王の代名詞となり、”中興の祖”と呼ばれた。

 高雄氏の息子である三代目の意高氏は、放蕩三昧の”ギャンブル狂”。役員も幹部も、顔色をうかがうのは絶対君主である高雄氏であって、社長の肩書きがついても、意高氏は“ボンボンの御曹司”でしかなかった。父親の影響力から抜け出せるのは夜の世界である。

 東京・麻布の深夜の高級クラブ。シャンパンがなみなみと注がれたグラスの下にはコースター代わりに1万円が10枚置かれる。ホステスが飲み干せば、全額が懐に入る。「意高コースター」と呼ばれる余興だ。

 意高氏は六本木のカジノ遊びで「カネ払いのいい客」として知られるようになる。それでも、国内でのカジノ遊びはほどほどだったが、裏カジノ人脈の誘いもあって、海外カジノで派手に遊ぶようになった。

 大金が動くカジノのギャンブルといえば、バカラだ。バカラは、配られた2枚または3枚のカードの合計点の1桁目の数が9に最も近い者が勝者になる。賭けられる金額が大きいのが特徴で大金を投じる客をハイローラーと呼び、1回の勝負で数千万円をつぎ込む客に専用のVIP(重要人物)ルームを用意している。意高氏は、一晩で5億円も消費したこともあったという。カジノとは「買って1億円、負けて1億円」の世界なのだ。

106億円を使い込んだ三代目の逮捕

 大王製紙の元会長・井川意高氏が東京地検特捜部に逮捕されたのは、11年11月22日のことだ。子会社4社に損害を与えた、会社法の特別背任が逮捕容疑だ。創業家三代目による大王製紙グループの私物化は刑事事件に発展した。

 大王の特別調査委員会は、子会社7社からの借入金は計106億8,000万円と認定した。

 その後の特捜部の調べで、意高氏は09年ごろから、子会社とファミリー企業のほかにも、金融機関や知人から借金を重ねており、借入総額は165億円に上った。意高氏は起訴内容を認めたうえで「ほぼ全額をカジノに使った」と供述したという。

 12年10月、東京地裁は意高氏に対して懲役4年の判決を言い渡した。意高氏は、東京高裁に控訴、さらに最高裁に上告して争った。13年6月、最高裁は上告を棄却し、懲役4年の刑が確定し、喜連川社会復帰センターに収容された。

(つづく)

【森村 和男】

(中)

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