大王製紙、「ギャンブル狂」御曹司の復讐!(中)
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『熔ける 再び そして会社も失った』(幻冬舎)の広告が7月1日付の新聞に大きく掲載された。著者は、カジノに子会社から借りた総額106億8,000万円の資金を費やし、会社法違反(特別背任)の罪で2013年2月に懲役4年の実刑判決が確定、3年超服役した大王製紙前会長・井川意高氏。広告には、「ギャンブルよりも血がたぎる、現会長佐光一派による井川家排除のクーデターが実行されていた」とおどろおどろしい文字が躍る。復讐するために出版したというのである。
佐光社長は創業家排除を目指す
「創業家に物をいえない企業風土」といわれた大王で、社長・佐光正義氏は初めて物言いをつけ、創業家一族と距離を置くことを決意した。創業家の御曹司のバカラ賭博事件以降、創業家の影響力排除を目指す佐光社長ら経営陣と創業家の井川一族との対立が続いていた。
特別調査委員会の報告では、国内の連結子会社35社(海外は2社)のうち、大王製紙が株式の過半数をもつのは3社しかなかった。32社は創業家の井川一族やファミリー企業が過半数を押さえていた。調査委員会は、大王製紙が連結子会社の株式をもち、グループをしっかり束ねるよう提言した。
高雄氏にしてみれば、自分の追い落としをはかる子飼いの経営陣へ、保有するグループ企業の株式を、簡単に渡すことはできなかった。一時は”天敵”である王子製紙に株式を売り渡すことまで考えたと伝わっている。
息子がカジノでつくった借金を、父親が尻拭い
2012年に事態が一気に動いた。北越紀州製紙社長・岸本哲夫氏が仲介の労をとった。
北越は大王の創業家である井川一族から大王の株式を取得し、筆頭株主になった。一方、大王は、北越紀州を介して創業家側から関連会社の株式を買い取った。この結果、激減していた連結子会社の数は事件前と同じ35社に戻った。
強硬姿勢を貫いていた高雄氏が矛を収めたのは意高氏の借金問題で、にっちもさっちも動きが取れない状況に陥っていたからである。大王の子会社からの借金のほかに、カジノ側に10億円の未清算金があり、損害賠償を求める訴訟を起こされていた。
創業家は、株式代金を原資に、大王の子会社からの借金とカジノの未清算金の弁済を行った。父親である高雄氏は、不肖の息子がつくった莫大の借金を尻拭いした。その結果、すべての株式を処分して、創業家は三代にわたり支配してきた大王の支配権を失った。
意高氏は「売り家と唐様で書く三代目」、そのものである。
出所後、すぐに韓国のカジノでバカラ賭博
井川意高氏は、あれほど世間の批判に晒され、痛い目にあったのに、”ギャンブル狂”が治ったわけではない。新著『熔ける 再び そして会社も失った』(幻冬舎)は「現代ビジネス」のウェブサイト(6月26日~29日付)で閲覧できる。
刑期満了から8カ月後の2018年6月、意高氏はすぐに韓国・ソウルのカジノホテル「パラダイスカジノウォーカーヒル」に繰り出す。現金3,000万円をカバンに詰め込み、東京からソウルへ持ち出した。
〈一張りの金額を上限ギリギリまで設定してバカラで戦い続けた。
1日が過ぎ、2日が過ぎ、24時間、48時間と時間が経過していく。カジノに繰り出したときの私は、丸2日徹夜するなんて当たり前だ。「運の揺らぎ」に注意を集中させながら、ひたすらバカラに没頭し続ける。
3,000万円の種銭は1億円を超え、2億円を超え、10倍に膨らんで3億円を超えた。4日間にわたる攻防戦を終えたとき、目の前のチップは9億円分積み上がっていた。〉ボロ儲けしたから、これで手仕舞いにしようとは考えないのが、バクチ打ちの業だ。果てしなき刺激とスリルを求め、破滅願望に突き動かされながらひたすらバカラを続けた。
〈運の揺らぎは、テーブルの上をビー玉がスーツと転がるように、右へ左へたゆたっていた。そして破滅のときは来た。9億円まで増殖したチップは、とうとうゼロになってしまったのだ。〉
自著の表題『熔ける 再び』だ。意高氏は病膏盲(やまいこうこう)に入るギャンブル狂なのである。
(つづく)
【森村 和男】
法人名
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