電通、国際スポーツ大会における利権の原点は「ペレ引退試合」(前)
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東京五輪・パラリンピックをめぐる汚職事件で、東京地裁は2022年12月26日、大会組織委員会の元理事・高橋治之被告(78)=受託収賄罪で起訴=の保釈を認める決定を出した。元理事は8,000万円の保釈保証金を現金納付し、8月の逮捕から132日となる同日夜に保釈された。高橋元理事は午後7時半ごろ、スーツ姿で車イスに乗って、東京拘置所から出て、車に乗り込んだ。その姿を報道各社が報じた。
高橋元理事の保釈と「サッカーの王様」の死
朝日新聞デジタル(12月26日付)によると、汚職事件の概要はこうだ。
高橋元理事は8~11月に4回逮捕・起訴され、贈賄総額は計約2億円に上る。贈賄側は、紳士服大手のAOKIホールディングス、出版大手KADOKAWA、広告大手の大広とADKホールディングス、大会マスコットのぬいぐるみの製造・販売したサン・アローズの5ルート。計15人が起訴された。
時事通信(12月30日付)は、「サッカーの王様」「20世紀最高のサッカー選手」と呼ばれたブラジル代表の世界的スター、ペレ(本名エドソン・アランテス・ド・ナシメント)さんが29日午後3時27分、結腸がんの転移による多臓器不全のためサンパウロ市内の病院で死去したと報じた。82歳だった。
不可思議な縁で結びついていると思わせる記事だった。電通が国際スポーツ大会の利権を握った原点は、1977年に行われたペレの引退試合だったからだ。
いかにして電通は五輪利権を独占できるようになったのか。草創期の足跡を振り返ってみよう。
東京・国立競技場で行われたペレの引退試合
ペレさんは15歳でブラジル・サンパウロ州の名門クラブであるサントスに入団。ワールドカップ(W杯)には17歳で58年大会に初出場し、ブラジルの初優勝に貢献。以後の3大会にも連続出場し、62年、70年大会と合わせて3度の優勝を経験した。77年に引退するまで、驚異的な1281得点を挙げた。
東京でペレさんの引退親善試合が行われた。当時の報道をひもといてみよう。
1977(昭和52)年9月10日、ブラジルが生んだ「サッカーの王様」ペレ(36)の引退親善試合、ニューヨーク・コスモス対古河電工戦が東京・国立競技場で行われた。試合終了間際に得たFKを巧みに曲がる神業のバナナシュートで決め、スタンドを沸かせた。
(共同通信2021年9月10日付「あのころ」より)73年に広告年間取扱量で世界一に輝いた電通が最初に手がけた大規模なスポーツビジネスは、77年に国立競技場で行われたサッカーブラジル代表選手のペレの引退試合だ。
『週刊ポスト』(2022年12月23日号)は、「『電通』はいかにして国際スポーツ大会利権を握ったか、きっかけは1977年ペレの引退試合」と題する記事を掲載、スポーツ文化評論家の玉木正之氏のコメントを寄せている。
「この時の仕掛け人が電通の元常務・服部庸一氏です。当時はプロ野球や大相撲しかスポーツ興行がないなか、服部氏は“神様”と言われたペレを目玉とする興行を打ち、サッカー不毛の時代に7万人の大観衆を集めました」
人々の興味を引くため、「ペレ・サヨナラゲーム・イン・ジャパン」と銘打ち、飲料メーカーとスポンサー契約を結んでテレビ中継した。現代に通じる手法を駆使した一戦は、後に電通が十八番とするスポーツマーケティングの礎となった。
電通の伝説的人物、故・服部庸一氏
故・服部庸一氏は電通の伝説的な人物だ。電通のウェブサイト『電通報』は、「オリンピックビジネスをつかんだ男・服部庸一」を特集した(2013年12月5日より9回連載)。
オリンピックは電通のビジネスポートフォリオに欠かせない存在である。しかし、この広範なビジネスチャンスはやすやすと獲得したものではない。服部庸一という稀代のプロデューサーの先見性と果敢な行動力の賜物と断言しても過言ではない。
と大絶賛する。
服部氏は1928(昭和3)年東京生まれ。45年、終戦の年に上智大学に入学。ハワイアン・バンドのメンバーとして米軍キャンプで演奏を行った。「電通の初任給が7,900円の時代、学生の身でありながら月に10万円近く稼いだ」と服部氏は語っている。
51年、服部氏は電通に入社。電通のオリンピックとのかかわりは64年の東京オリンピックが最初であった。当時、服部氏はラジオテレビ企画制作局に籍を置き、企画室のプロデューサーとして音楽芸能関連に手腕を発揮していた。
国際イベントに際して服部氏が活躍を見せたのは70年の大阪万国博覧会、75年の沖縄国際海洋博覧会、そして77年のペレの引退試合だ。ペレの試合の大成功をきっかけに電通は、79年に開催された第2回サッカーワールドユース大会の運営を担い、81年からはトヨタカップにも関わるようになった。
日本企業を引き連れロス五輪参戦
その後、電通が目をつけたのが五輪だった。前出の『週刊ポスト』で、スポーツジャーナリストの谷口源太郎氏は、
「1984年のロス五輪で実業家のピーター・ユベロス氏が大会組織委員長に就任しました。参加企業を集めて資金を獲得し、大会の運営費を使うという大規模のシステムです。そこに日本企業を一手に引き連れて”参戦”し、組織委員会とのスポンサー契約を仲介したのが電通でした」
と語っている。
電通の偉業として有名なのが富士写真フイルム(現・富士フイルム)との電撃契約だ。
「地元アメリカの企業、コダックがスポンサー契約を渋っていたところ、隙を狙った電通が電光石火の早業で富士と700万ドルのスポンサー契約を結んだといわれています。代理店が五輪ビジネスで大きな役割を果たしたのは世界初でした」
(前出・谷口氏)さらに電通は、日本でのエンブレムやマスコットキャラクターの使用許諾権などの独占契約を組織委員会と締結した。
(つづく)
【森村 和男】
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