国鉄民営化から大きく変化した日本 オールジャパンで鉄道を考える(前)
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九州旅客鉄道(株)
元代表取締役社長(初代)
石井 幸孝 氏九州旅客鉄道(株)の初代社長である石井幸孝氏に、JR九州が躍進するきっかけとなった不動産事業を始めた理由および今後の日本の鉄道の在り方について話を聞いた。石井氏は3時間におよび休まず語り続け、話は九州を飛び越えて「オールジャパン」で鉄道を考える視点、さらに食料・エネルギー自給率の向上にまでおよんだ。
“お客様第一”“地域密着”を掲げて船出
石井幸孝氏は、JR九州の初代社長として民営化後の躍進に貢献した。石井氏は国鉄末期の1986年に九州総局の総局長として九州に赴任、それが初代のJR九州社長に就任したきっかけだ。その後、JR九州に15年間在籍した。
石井氏は社長に就任した際、まずJR九州が目指すべき方向として、“お客様第一”と“地域密着”を経営理念に掲げた。これは、末期の国鉄が親方日の丸的でサービスの質なども低かったことへの反省を踏まえ、地域から愛される企業になるべく、上記の経営理念を掲げたのだ。これがJR九州の船出となった。
“お客様第一”と“地域密着”を実現させるためには「社風づくり」が大切である。そのために経営理念を理解した社員育成と並行して、幹部の育成にも取り組んだ。
石井氏は、国鉄改革の主題が「本州3社を黒字にすること」であったと述べた。石井氏は国鉄九州総局の総局長として九州へ赴任する前は、首都圏本部長を務めていたが、「首都圏は人口の絶対数が多いためお客様数も多く、最大の課題は安全対策であった」という。
石井氏は分割民営化に際してJR九州の社長に就任することになる。当時、JR北海道、JR四国、JR九州は赤字必至の事業者になることは確実であったため、三島会社が発足するにあたり、「経営安定基金」が用意され、それを運用した利息で損失を補てんするように制度設計がなされていた。
当時のJR九州にとって鉄道事業は赤字必至であるが、いつまでも経営安定基金の運用による利息だけに頼った経営では、今後社会情勢が変化した場合にどうなるか不透明である。事実、JR九州が発足した当初は金利が高く、経営安定基金の運用益で鉄道事業の損失を補てんすることができ、黒字経営であったが、バブル経済の崩壊後は低金利政策が採用されてしまった。
国鉄時代の借金を背負ってスタートしたJR東日本、JR東海、JR西日本の本州3社は、借金の利払い額が減るため、経営が楽になった。一方のJR九州ら三島会社は、経営安定基金の運用益が減少し、経営環境が厳しくなった。現在のJR九州は、経営安定基金をすでに解消し、不動産事業の利益で鉄道事業の損失を補てんして、黒字経営を維持している。
JR九州を躍進させた多角経営
石井氏は、鉄道事業だけでは黒字企業になることができないため、関連事業の育成が不可欠だと考えた。だが国鉄時代は、日本国有鉄道法による規制もあり、関連事業といえば駅ビルなどに限られていたため、JR九州には事業を多角化するノウハウがほとんどなかった。
そこで石井氏は、多角事業を行うことで経営を軌道に乗せている鉄道会社として、近畿日本鉄道(株)に着目し、研究に取り組んだ。近鉄は、関西一円と中部地方の一部に路線を展開する大手民鉄である。当時においても総収入に占める鉄道事業の割合は2割程度であり、残りの8割関連事業が占めていた。
JR九州が関連事業を開始するとしても、百貨店を運営するノウハウはない。遊園地をやる場合、鉄道車両の維持管理のノウハウによって遊具の維持管理はできたとしても、アトラクションの企画など、遊園地を運営するためのノウハウはもっていなかった。
やはり新規事業を開始するには、自社のノウハウや人材に着目しなければならない。鉄道会社には、電気、機械、土木、建築のノウハウをもった人材が豊富である。そうなると不動産事業はどうかということになり、最初は熊本で住宅産業から始めたが、一戸建の住宅となればオーダーメイド的な要素が強くなるため、そのような分野はJR九州では厳しい一面があった。
そこで石井氏は、マンションの分譲に注目した。JR九州には、土木や建築系の専門家が多くいるうえ、マンションであれば規格品として販売が可能であるから、JR九州でも取り扱いできそうであった。駅前にマンションを建設して販売すれば、住民には利便性が良いうえ、JR九州にとっては、新規のお客様を開拓できるため、一石二鳥の事業である。石井氏によると、「JR九州は鉄道事業の損失を補てんするために関連事業を行っている。それゆえ儲かる事業しかやらない」とのことであった。
地方議会議員やNPO関係者のなかには、「JR九州は、『ななつ星in九州』で儲けている」と思っている人が多く居るが、実際の稼ぎ頭はマンションの分譲であって、「ななつ星in九州」は、JR九州のブランド確立には貢献するが、経営基盤を支える事業をつくっていかねばならないという。
(つづく)
【運輸評論家 堀内 重人】
<プロフィール>
石井 幸孝(いしい・よしたか)
1932年10月、広島県呉市生まれ。55年3月に東京大学工学部機械工学科を卒業後、同年4月に国鉄に入社。蒸気機関車の補修、ディーゼル車両設計などを担当。85年、常務理事・首都圏本部長に就任し、国鉄分割・民営化に携わる。86年、九州総局長を経て、翌87年に発足した九州旅客鉄道(株)(JR九州)の初代代表取締役社長に就任。多角経営に取り組み、民間企業となったJR九州を軌道に乗せた。97年会長就任、2002年退任。著書多数。近著に『国鉄―「日本最大の企業」の栄光と崩壊』(中公新書、2022年)。堀内 重人(ほりうち・しげと)
1967年生まれ。立命館大学大学院経営学研究科博士前期課程修了。運輸評論家としての執筆、講演活動のほか、NPOなどで交通問題を中心に活動を行う。主な著書に『ビジネスのヒントは駅弁に詰まっている』(双葉新書)、『観光列車が旅を変えた―地域を拓く鉄道チャレンジの軌跡』(交通新聞社新書)、『地域の足を支える―コミュニティバス・デマンド交通』(鹿島出版会)、『都市鉄道とまちづくり―東南アジア・北米西海岸・豪州などの事例紹介と日本への適用』(文理閣)など。法人名
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