2025年01月21日( 火 )

ヨーロッパにて韓国を思う(中)スペイン狂想曲

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福岡大学名誉教授 大嶋仁 氏

    スペイン議会は「16歳になれば誰でも性転換できる」という法案を可決した。EU諸国も驚くほどの「先進国ぶり」である。これを知った日本の弁護士は、「スペインがこれほどの先進国とは思っていなかった」と賛嘆している。だが、この法案、それほど「先進的」なのか。

 これについてのスペイン国民の意見は2つに分かれる。「自然に反する法案だ」と反対する意見もあれば、「人の性は社会が構築したものだから、それによって個人が制約されるのはよくない」と法案の成立を喜ぶ人もいる。

 だが、いくらなんでも、「僕は今日から女性です」と16歳の少年が言えば、それでOKなのか? 私にはそのような「無茶な法律」ができてしまうこと自体、信じられない。そこで、知り合いのスペイン人病理学者に尋ねてみると、至極まともと思える答えが返ってきた。

「この法案は自然が生み出す性の差異と、社会が生み出す男女の役割差とを混同するところから出たものです。誰が見たって、ホルモン的に男女の差はある。それを無視して成立してしまう国民は、ただの無知でしかありません」

「では、どうしてそんな無茶な法案が通ってしまうのですか?」と私が聞くと、「議員たちの背後に見えざる力が働いているのですよ。つまり政治家は、出どころが不明な金で動いている。見えざるロビーがあって、それでとんでもない法案をも成立させるのです」

 「ロビー」といえば、アメリカ外交を左右するという「イスラエル・ロビー」があるが、この言葉がスペインの病理学者から出てきたのには驚いた。そういえば、日本でも原発反対運動をしている人が「原子力ロビー」という言葉を用いている。私たちの国でも、政治の裏で金の力が大きく働き、国民を危険な方向に導いているのだ。世界全体がおかしくなっている、そう思わざるを得ない。

 それにしても、スペインの政治は常軌を逸している。フランスのような政情不安の国でさえ、最低限の「常識」は機能しているように見える。どうしてスペインだけが、ここまで極端に走るのか?

 そこで思い浮かべなければならないのが地政学的観点である。スペインはアラブ人の支配する北アフリカとヨーロッパの中間にあり、その両方から引っ張られているのだ。多くのスペイン人はこのことを意識せず、スペインでかつてテロ事件を多発させたバスク人の存在や、カタロニア独立運動による国家分断の試みなどに言及するのだが、私に言わせれば問題の根源はほかのところにある。スペインがアフリカとヨーロッパの中間にある半島国家であることが、現在の狂気の政治の根源なのだ。

 そもそもスペインは800年もの長期にわたってイスラムの国だった。15世紀末にカトリック勢力が半島を奪還してカトリック教国となったわけだが、半数以上のスペイン人はいわゆる「白人」ではなく、アラブ人かユダヤ人の血を引いた、かつてはイスラム教徒かユダヤ教徒だったのである。そのような民が、異端審問の恐怖に怯えながらカトリック化したとなれば、宗教イデオロギーの持つ重みは凄まじいものがあるにちがいない。そして、そういう彼らが急激な「近代化」によって宗教を失えば、心に大きな穴が空いていて不思議はないのだ。彼らはその空洞を埋めるために必死にイデオロギーにしがみつく。それがこの国の現状に反映されているのである。

 ここまで来れば、韓国の政情不安もその地政学的位置に起因するものだとますますはっきりする。朝鮮半島はかつて漢帝国の一部であり、漢文明は半島文化の深くに入り込んでいる。その一方で彼らには早くから民族意識があり、「朝鮮」(チョソン)として中国からの自立を図ってきた。

 そのような民族意識の高い国が近代日本によって蹂躙され、第二次世界大戦後には北と南に分断されて冷戦構造に巻き込まれた。長いあいだ国民と為政者を支えてきた儒教道徳が崩されて空洞化した精神に、分断状況が生み出した「社会主義」と「資本主義」のイデオロギー対立を乗り越えることができるわけがない。現在の韓国がイデオロギー過多症に罹っているとして、不思議はないのだ。

 「冷戦はとっくに終わっている」という人もいるだろうが、朝鮮半島の分断が続く限り、これは終わっていない。北朝鮮軍の一部がウクライナ戦争に参加しているという話を聞くが、もし事実なら、これは冷戦が終わっていないことの証拠なのである。

 さて、韓国をよりよく理解するためにスペインの国情に触れたが、最後に、韓国が自らの内にある「中国」と「日本」を認めることがなかなかできないように、スペインは自らの内なる「アラブ」と「ユダヤ」を認めることができないと付け加えておきたい。両国はもう少し冷静に、自らの歴史を見つめるべきなのだ。

(つづく)


<プロフィール>
大嶋仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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