現代版平家滅亡物語=安倍家消滅物語(2)慢心が栄華を短命なものとした
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平清盛は高熱で亡くなったとされている。そこから5年が経過して平氏政権は滅亡した。安倍晋三氏が暗殺されて1年半、安倍派勢力は今後、1週間で消滅する運命が待ち構えている。あっけないものである。晋三氏が首相を退いて3年間、静かに身を退いていたならばまだまだ再生の余地は残っていたのであるが、しかし親分が亡くなった以降も、残された安倍派政治家たちはあまりにも傲慢な銭塗れの権力運営に終始していた。
安倍権力は10年(裏での政治指導を含む)続いた。恥をかかされ続けた検察組織は怨み骨髄の念だったであろう。安倍派潰しの機会を待っていたのである。結果、パーティ券裏金づくりの摘発により、国民の怒りが爆発して世論を味方につけられるという判断をした。この読みは当たった。前回、触れたように安倍派5人衆は一網打尽に権力の座から追放される見通しだ。1時間ごとに局面が変わっていく。権力闘争の凄まじいことである。
助言に耳を傾けなかった晋三氏
前回登場したAが悔やむ。晋三氏が政権から身を退いたときのことである。「晋三さん、貴方はまだ若い。ここは3年間、静かに身を潜めていただきたい。もう一度、登場できる機会が必ず生まれる。国民から復帰の待望論が巻き起こるまで待て、と勧告したのであるが、聞く耳をまったく持たなかった。器量のない人物であった」と振り返る。恐らく本人は「動きを止めれば存在感が薄れる、と不安でたまらなかったのであろう。
菅氏に政権を譲渡した。ところが菅政権は短命に終わった。次の自民党総裁選挙では派閥同志でもない高市早苗氏を強引に支持して完敗した。ここで己の政治生命の窮まりを悟るべきであった。派閥5人衆は本音のところでは苦虫を噛み潰していたはずである。その後、岸田政権を支える第一派閥として君臨する機会を得て満足感に浸っていた。
ところが皮肉にも2022年7月8日、統一教会信者二世である山上徹也容疑者から暗殺された。晋三氏はおかしな政治主張を持つ人物であった。「国の誇り、民族の優位性」という信条を掲げていた晋三氏が、一方で日本を従属させて韓国へ送金を強要させる統一教会を強力にサポートするという自身の立場に疑問を抱かなかったからである。祖父・岸信介氏から曰く付きの伝承があってもだ。山上容疑者は、「統一教会のおかげで家族が悲惨な目にあった。関係者代表を暗殺する」とターゲットを探していた。その矛先が晋三氏となったのである。
晋三氏はこの世を去った。Aが悔やんでも故人の器量の限界、聞き入れる余地が皆無であったのであろう。こういう事実関係をたどっていくと、人間の背負った業というか宿命に辿り着く。最終的には3代(厳密にいえば4代)続いた政治一族・安倍家が消滅する危機に直面するのである。
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「安倍晋三氏、テロの犠牲から1周忌を迎えて(2)」政治一族・安倍家は4代で終焉を迎える
晋三氏は3人兄弟であった。長男寛信、本人、三男信夫であった。長男寛信氏は、父・晋太郎氏がたどった政治家の道を継承する意志が皆無であった。頑なに断り続けてきた。そこで晋三氏に後釜が回ってきたのである。今からみれば寛信氏の選択は正解であった。三井物産で生涯ビジネス人生を貫いた。同氏は実子たちにも政治の世界への関与にストップをかけていると言われている。となると長男・寛信家からは政治家の誕生はない。
晋三氏には子どもがいない。次男宅から政治家誕生はあり得ないのだ。三男信夫氏は岸家に養子に入った。同氏は参議院議員、衆議院議員を務めたが、癌で引退した。息子の信千世氏が衆議院山口3区の議員で1期生である。しかし、予想される衆議院解散総選挙では落選の可能性が高いと目される。山口県において「安倍・岸両家」のブランド力も薄くなったからである。
そして次の選挙において「安倍・岸家」および自民党への批判は強いはずだ。4代目信千世氏の政治家としての立場は風前の灯火なのである。かなりの確率で政治一族・安倍家は終焉を迎えそうである。
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