追悼 日大のドン田中英壽様
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日本大学の前理事長・田中英壽氏が、逝去したことが1月13日明らかになった。享年77歳。病に伏せっていたという。一部報道では、癌を患っていたとも……。
角界発展の功労者と権力志向
田中英壽氏は、1946年12月6日青森県北津軽郡金木町(現在の五所川原市金木町)で生を享けた。小学生から相撲に取り組み、強豪の青森県立木造高等学校に進み、実力を発揮したという。日本大学入学後も、相撲部へ入部。3年生時には学生横綱となり、その後3度のアマチュア横綱に輝くなど、アマチュア相撲界の伝説となった。
日大卒業後は大相撲に進まず、大学に残り後進の指導に就く。同学相撲部コーチを経て83年監督に就任。久島海や舞の海をはじめとした人材を多数大相撲へ送り出した。アマ相撲そして大相撲と我が国相撲界へ優秀な人材を育成・輩出し、角界発展に大きく寄与した功績は、称えられるべきであろう。あと、(財)日本オリンピック委員会理事・副会長、(公財)日本相撲連盟専務理事・副会長、国際相撲連盟事務総長・会長の要職も歴任した。
一方で、同学での体育助手を皮切りに、学校法人理事、同学保健体育局長、学校法人常務理事と着実に“権力”の階段を登っていく。そして2008年に(学)日本大学・理事長に就任し、トップの座についた。その間、権力争いに明け暮れ、田中氏と反目する学内職員などを次々に閑職へ追い込んでいった。日大トップに君臨し、“カネと人事”を完全に掌握し、権力をほしいままにした。元来指導者としての優れた能力があったことを考えると、そのトップとしての権力を、日大発展のために使っていたらと思わずにいられない。
癒着と脱税
日本大学は、1889年(明治22年)10月4日、日大法学部の前身である日本法律学校として創立されたことに始まる。1903年に日本大学と改称。20年、大学令に基づく大学となった。現在では、16学部87学科・短期大学部5学科・通信教育部4学部・大学院20研究科・5付属病院・11高等学校・6中学校・小学校・幼稚園などを設置。加えて医学部、歯学部、薬学部、獣医学部の6年制4学部を有する、日本最大の学校法人である。
その日本最大の学校法人トップに13年間の長い年月君臨した、田中英壽氏。 「ヒトモノカネ」を思いのままにしていく中で、学校法人のガバナンスが弱体化していった。それが表面化したのが、2018年5月に発生した、同学アメリカンフットボール部の危険タックル問題を発端とする日大の一連のスキャンダルだった。田中氏は同部や大学の責任所在を明らかにせず、幕引きを図った。
さらには、田中氏と同学取引先や業者との癒着も疑われた。学内関連の施設などの工事受注をめぐっての、リベートの授受の疑い。暴力団関係者との交際疑惑……田中氏の理事長在任中は、黒い交際とカネにまつわる噂が絶えなかった。
そして21年11月29日、18年と20年の所得を隠し、所得税5,300万円を脱税したとして、所得税法違反の疑いで東京地検特捜部に逮捕された。特捜部は、日大医学部附属板橋病院の建替え計画をめぐって、田中氏が(医)錦秀会グループの前理事長から現金を受領した疑いを捜査していた。逮捕により12月1日に、田中氏は理事長を辞任。(同学の理事は解任、評議員職も解職)さらに同月22日、同学校友会の会長職も解任の上に校友会から除名され、日大のすべての役職が解かれている。(日大ホームページの歴代理事長紹介も削除されている)なお、22年3月12日には日本相撲連盟の副会長も辞任した。
22年3月29日、東京地裁にて懲役1年、執行猶予3年、罰金1,300万円の有罪判決が下った。田中氏は控訴せず、4月13日判決が確定。その後は、夫人に先立たれるなど不遇な晩年となった。
田中氏の著書に「土俵は円 人生は縁」(早稲田出版)がある。そこで田中氏は「相撲人生一筋に生きた半生と人材育成のノウハウを語る」と表している。田中氏は、相撲一筋に生涯を捧げていれば、もっと周囲や世間から讃えられる人生であったのではと悔やまれる。「土俵は円」の円は、何とも皮肉なものとなった。
合掌。
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