2024年11月05日( 火 )

【昨今MBO事情(1)】ベネッセ福武氏は「芸術のパトロン」の趣味を死守(前)

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 「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もある」。一身を犠牲にするだけの覚悟があって、初めて活路を見出し、物事に成功することができるという意味。最近、MBO(経営陣が参加する買収)が最大規模に増加している。オーナー企業はどうして、MBOによって非上場企業になろうとするのか。オーナーの真意をレポートする。

ベネッセHD、2,079億円MBOで上場廃止へ

 東証プライム市場に上場している通信教育大手ベネッセホールディングス(HD)は1月30日、2023年11月に発表したMBO(経営陣が参加する買収)について、ヨーロッパの投資ファンドによるTOB(株式公開買い付け)を始めた。TOB価格は従来発表通り1株2,600円、買い付け総額は2,079億円、買い付け期間は3月4日まで。TOBが成立すれば上場廃止になる。

 MBOはベネッセHDの創業家である福武總一郎家が欧州系投資ファンドEQTと組んで実施する。昨年11月の発表後、日本と中国で法律に基づく必要な手続きをしており、手続きが完了し、TOBを実施した。

 最終的にはベネッセHDが100%保有する特別目的会社(SPC)株についてEQTが6割、創業家が4割保有、議決権ベースでは5割ずつにする。

東証は株価を重視した経営を求める

 ベネッセHDのようにMOBを通じて上場廃止を目指す企業が増えている。同社や大正製薬ホールディングス(HD)などがMBOを発表した23年11月には件数が急増し、11年12月以来の多さになった。

 MBOの追い風になったのは、東京証券取引所が23年3月にプライム、スタンダードの2市場に上場する企業に対し、株価を意識した経営に取り組むよう要請したことだ。株価が割安か割高かを示す指標「株価純資産倍率(PBR)」が1倍割れの企業に改善を求めた。

 東証が投資家目線の経営を求めたことでお墨付きを得て、物言う株主と言われる投資家、アクティビストの圧力が強まった。物言う株主による株主に還元するために自社株買い、増配を求める圧力が強まり、アクティビストファンドの言い分を飲まざるを得なくなっている。それを逃れるためにMBOで非公開化に動く企業に増えている。

主力の「進研ゼミ」「こどもちゃれんじ」の在籍数が減少

通信教育 イメージ    それではベネッセHDがMBOにより上場を廃止する狙いは何か。ベネッセといえば、「進研ゼミ」(小学・中学・高校講座)、「こどもちゃれんじ」(0~6歳の未就学児対象)の雄。しかし、在籍数の減少で苦戦を強いられている。12年4月に計409万人を数えた国内会員数は23年4月には計221万人とほぼ半減した。落ち込みに歯止めがかからない。

 そのため、ベネッセHDはTOB開始に合わせて24年3月期の連結業績予想を下方修正した。売上高は前期比微増の4,120億円、営業利益は同3%減の200億円、純利益は同34%減の75億円の見込み。従来予想より、それぞれ110億円、15億円、40億円引き下げた。

 メディア各社は、「ベネッセHDはEQTの知見を取り入れながら、主力の『進研ゼミ』などの立て直しを図る」と報じた。はたして、それだけだろうか。創業一族の真意をひもといてみよう。

「進研ゼミ」に経営の軸足を移し大成功

 ベネッセの前身は1955年に故・福武哲彦氏が岡山市で創業した「福武書店」。社員6人で生徒手帳などを製作した。地元向けの模試試験も始め、69年、後に「進研ゼミ」となる高校生向けの通信講座を開始した。

 福武總一郎氏は45年12月に哲彦氏の長男として生まれた。早稲田大学理工学部卒行後、日製産業、日本生産性本部勤務を経て73年福武書店に入社。父の急死で86年社長に就任した。

 總一郎氏は小中高校向け通信添削講座「進研ゼミ」に経営の軸足を移し大成功。1995年に社名をベネッセコーポレーション(現・ベネッセHD)に変更、大証2部(2000年に東証一部)に上場した。ベネッセはラテン語の「よく生きる」という意味に由来する。
今や「教育のベネッセ」として、幼児教育から小・中・高校の受験教育、社会人の英語取得まで手がけ、日本における一大教育コンツェルンを築き上げた。

創業家御曹司の痛恨の誤算は
「プロ経営者」原田泳幸氏の改革の失敗

 ワンマン経営の弊害が強くでて業績が悪化したことを理由に、總一郎氏は一度経営の第一線から退いた。2003年にソニー出身の森本昌義氏を社長に招いたが、社内での男女問題が週刊誌に取り上げられ、07年に辞任に追い込まれた。

 ベネッセは09年持ち株体制に移行。總一郎氏は会長に就き、社長に生え抜きの福島保氏を起用したものの、業績停滞を打破できなかった。

 14年6月には、アップルコンピュータ、日本マクドナルドで「プロ経営者」として辣腕を評価された原田泳幸氏を社長兼会長に招いた。總一郎氏にしてみれば最後の「切り札」だったにちがいない。總一郎氏は同月の株主総会で会長を退任。最高顧問の肩書きは残したが、経営からは手を引いた。

 「プロ経営者」原田氏の躓きの石となったのは、就任の翌7月に発覚した顧客情報流失事件。業務委託先のエンジニアが不正にアクセスして情報を持ち出し、名簿業者に売却していた。ベネッセの発表では流出は3,504万件にのぼった。

 この一件で顧客離れが一気に進み、15年3月期は上場以来初となる最終赤字に転落。16年3月期も最終赤字となり、「プロ経営者」として三顧の礼で迎えられた原田社長兼会長は引責辞任した。

 この間の一連の推移について、筆者はNetIB-NEWSに「芸術のパトロン、ベネッセが“政商”に変質する時~個人情報流出事件と『プロ経営者』原田泳幸氏の改革失敗が転機」(19年11月27、28日付、(前)(後))を寄稿している。

(つづく)

【森村 和男】

(後)

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