2024年11月05日( 火 )

【昨今MBO事情(2)】大正製薬HD、オーナー家の相続税対策が狙い(後)

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 MBO(経営陣による買収)事情の第2弾。東証スタンダード上場の大衆薬最大手、大正製薬ホールディングス(HD)は1月16日、オーナー家の上原茂副社長が代表を務める大手門(株)(東京・豊島)が15日までに実施していたTOB(株式公開買い付け)が成立したと発表した。大正製薬HDは3月開催予定の臨時株主総会での手続きを経て上場廃止になる。オーナー家は何を狙って上場廃止に踏み切ったのかを解明する。

「番頭によるお家乗っ取り」だった

 それでは、上原家はなぜMBOを実施するのか。MBOに至った背景は、大正製薬の歴史を遡ってみる必要がある。

 大正製薬の“中興の祖”といえるのが、3代目社長の故・上原正吉氏。同社の実質的な創業者ともいえるが、創業者ではない。有森隆著『創業家物語』(講談社+α文庫)からひもといてみよう。

 大正製薬HDの前身は1912年、初代社長を務めた石井絹治郎氏が創業した大正製薬所。新聞広告を見て丁稚奉公に入ったのが正吉氏と大正製薬の出会いだった。創業者の絹治郎氏に引き立てられた正吉氏は実績を上げ、出世階段を駆け上がった。

 戦時中の43年、創業者の絹治郎氏が死亡、息子の石井輝司氏が二代目社長として後を継ぎ、正吉氏は専務に就いた。正吉氏が大正製薬所の社長になったのは、敗戦直後の46年のことだ。この間、創業家の石井家と社長の座をめぐっての確執はあったが、最後は、株主総会で決着をつけ、正吉氏が三代目社長に就任した。

 番頭によるお家乗っ取りといわれようと、「商売は戦い 勝っことのみが善」(同社の「創業の精神」のホームページ)だ。持ち株で勝るという数の論理で、正吉氏は大正製薬のオーナーの座を手に入れたのである。これ以降、上原家がオーナー家として大正製薬の経営の舵取りを担ってきた。

大正製薬の「ゴッドマザー」と呼ばれた小枝夫人

栄養ドリンク イメージ    正吉氏は50年、参議院議員(埼玉地方区)に初当選以来、連続5回の当選をはたした。政界に軸足を移した正吉氏に代わって、大正製薬を仕切ったのは正吉氏の妻で四代目社長の上原小枝(旧姓・土屋)氏だった。人事権を掌握した小枝氏は、正吉氏の側近たちを解任するなど、辣腕を振るい、大正製薬の「ゴッドマザー」と呼ばれるようになる。

 「ファイトで行こう!リポビタンD」。巨人軍の王貞治選手(現・福岡ソフトバンクホークス会長)のテレビコマーシャルが消費者に与えたインパクトは実に大きかった。大正製薬は、62年発売のリポビタンDのコマーシャルで大衆薬のトップメーカーに躍り出たといっていい。

 正吉氏は64年に長者番付一位になり、土地成金が登場するまで連続して上位に名を連ねた。「リポビタン長者」と称された。

小枝夫人による「婿取り」大作戦

 正吉・小枝夫妻には実子がなかった。小枝氏は実兄・土屋澄男氏の二男を養子にもらって育てた。それが現在大正製薬名誉会長・上原昭二氏(96)である。

 昭二夫妻には嫡子ができなかった。昭二夫妻には2人の娘がいたことから、小枝氏は孫娘を通して閨閥づくりに力を尽くした。

 長女の正子氏は、住友銀行頭取として関西の財界・金融界に君臨した堀田庄三氏の二男と結婚し、昭二氏の婿養子として迎え入れた。現在、大正製薬HD社長・上原明氏(82) である。大正製薬は三菱銀行を主力銀行としてきたが、この縁談を機に住友銀行に切り替わった。

 二女の吉子氏は元首相の大平正芳氏の三男と結婚した。大正製薬の副会長を歴任し、現在大正製薬相談役・大平明氏(77)である。これら縁組は当時、華麗な閨閥として話題になった。

 巨額のTOB資金を供給するのは三井住友銀行。「住銀の法王」と呼ばれた堀田正三氏の血を引く華麗なる一族の融資要請を断れるわけがはずない。

大正製薬の新しいオーナーは曾祖父母に「四代目」として育てられる

 大正製薬HDの新しいオーナーになる副社長・上原茂氏は1976年5月5日上原明氏(現・大正製薬HD社長)の長男として東京都に生まれた。幼少時より“中興の祖”である曾祖父母の上原正吉・小枝夫妻から「四代目」として育てられた。

 幼稚舎、普通部、高校、大学と生粋の慶應ボーイ。慶應義塾大学商学部在学中に米ダートマス大学に留学。2000年に大正製薬に入社。同年米製薬会社アボット・ラボラトリーズに転じ、薬学などを修業。04年から06年まで米国の著名なビジネススクールであるノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院で学んだ。ネイティブな英語を使いこなす国際派だ。

 06年に大正製薬に復帰。12年に36歳の若さで大正製薬の社長に就任した茂氏は、主力事業である一般用医薬品(大衆薬)を指揮した。大正製薬グループのプリンスとして後継社長になることは規定の路線だったが、”皇太子”時代が長かった。オーナー家の一員だが大株主ではなかったからだ。MBO(経営陣が参加する買収)によって、茂氏は晴れて大正製薬グループのオーナーになる。

 上原家は創業家ではなく、オーナー家だ。正吉氏は子どもがいなかったため上原の家名は残したが、血縁は絶えている。代わって、小枝氏の実家である土屋家の血筋が後を継いでいる。これが大正製薬の同族経営の特徴だ。名は上原、血は土屋だ。小枝氏は、源頼朝亡き後、「尼将軍」として鎌倉幕府を北条の世に転換させた北条政子を彷彿させる。

 今は亡き小枝氏は、明氏の息子、茂氏を「四代目」として経営を引き継ぐように育てた。「四代目」になるための残る一枚のカードが、株式を握ることである。MBOによって、茂氏は大正製薬グループの真のオーナーとして君臨することができるのである。

(了)

【森村 和男】

(前)

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