子どもの笑顔と発展の熱気~カンボジア視察ツアー(7)~地雷と日本人カメラマン
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アンコールワット、タ・プロームの視察を終えた翌日は、いよいよカンボジア最終日。朝8時にホテルを出発しアキラ地雷博物館へ向かう。アキラ(アキ・ラー)地雷博物館とは、かつてクメールルージュの兵士として戦ったアキラ氏が建てた私設の地雷博物館だ。アキラ氏はかつて、自身で埋めていた地雷がカンボジアの市民を傷つけ続けていることを知り、自主的に地雷撤去を始めた人物。博物館には彼が掘り出した地雷や不発弾などが数多く展示してあった。
対人地雷は約500円でつくることができると言われている。その安い兵器は人を殺さずに手足だけを吹き飛ばし、被害に遭った人の人生を狂わせてしまう。カンボジアには今も、600万個もの地雷が埋まっていると言われている。それを撤去するためには果てしない努力が必要なのである。
アキラ氏の博物館には数多くの地雷、その埋められていたときを再現した展示がなされていた。地雷の撤去は地面に木の枝を刺し、探しまわるのだという。現在では方法が変わったとのことだが、アキラ氏はそうやってかつて、数多くの地雷を掘り出してきたのだ。まさに危険と隣り合わせ。国のために自らの命を危険にさらしているのである。展示を見ると、クメールルージュによる虐殺の苛烈さ、残酷さ、地雷の残虐性を、ほんの少しだけ理解できたような気がした。
アキラ地雷博物館を後にする。次に訪問したのは佐賀県出身の戦場カメラマン、一ノ瀬泰三氏の墓である。一ノ瀬氏は1947年生まれで佐賀県出身。1972年、内戦激しいカンボジア取材を開始した。1973年、友人へあてて「旨く撮れたら、東京まで持っていきます。もし、うまく地雷を踏んだらサヨウナラ!」という手紙を友人にあて、当時クメールルージュの支配下にあったアンコールワットを目指したが、クメールルージュにとらえられ、1993年、処刑により命をおとしてしまった。
1982年、シェムリアップから14km離れた村で一之瀬氏の遺体が発見された。ご両親による確認で本人だとされた地は、遺体発見時、無残に白骨が転がっていた状態だった。その泥にまみれた頭蓋骨を父親が抱え上げ、近くを流れる川できれいに洗ってあげたのだという。ご両親はどんな気持ちだっただろうか。遺体が発見された場所には墓が置かれた。墓は今も、きれいに地元の方々の手によって守られていた。お参りをさせていただいた。
(つづく)
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