2024年08月20日( 火 )

国とメディアのウソ、そして地方自治体と住民 ──玄海原発を考える──(後)

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広嗣 まさし

原発の明かりと無数の星 イメージ    福島第一原発事故から11年、2022年に「311子ども甲状がん裁判」が始まった。原告は事故当時「子ども」であった7名。いずれも被爆者であり、甲状腺癌を患っている。

 原告側が国を訴えるよりも、東京電力を訴えることにしたのは正解だろう。自然災害によって発生した事故とはいえ、原子炉そのものにも原発管理にも問題があったことが明らかになっている。直接の責任は電力会社にあるのだ。だからといって、国に責任がなかったとはもちろんいえないが、訴訟の観点からすれば、電力会社を訴えるべきだろう。

 電力会社は企業である以上、利益を優先させる。従って、その利益のために「安全」に関しては慎重になる。しかし、長いあいだ同じ方式で利益を吸い上げていくと、どうしても管理が甘くなる。それがあのような惨事につながったのだろう。

 「311子ども甲状がん裁判」の意味はいろいろあるが、福島事故は周辺住民の健康に「大した被害を与えていない」とする国や電力会社の主張が誤りであったことを示している。これを基に、原発で作業する人のみならず、周辺に住むあらゆる人が危険に曝されていることとともに、国・電力会社・メディアのウソもはっきりした。

 それだけではない、この裁判は、原発で被曝し、それによって癌になった「住民」の声を初めて全国にとどけたという点でも意味がある。被爆患者たちが原告として電力会社を提訴したこと、そういう彼らを井戸謙一氏をはじめとする強固な弁護団が支えていること、このことの意味は大きい。

 東電側はあくまでも「100ミリシーベルト」論で自己弁護をする。弁護団は最新の科学データに基づいて公式基準値そのものを問題視し、それを支持する国際機関にも問題があるとする。福島県民健康調査や福島県立医科大の報告を引き合いに出し、東電側のデータは事実に背くことを明確にしているのである。国と電力会社が地方自治体と住民を「古い論理」で丸め込もうとしていることが、これによって明らかになった。

 民主主義は政治制度ではなく、住民の意識の問題だと私は思っている。その点では、川内や玄海町のように原発のある町の住民意識は複雑である。「原発マネー」が彼らの毎日を支えている以上、危険なものとわかっていても、これを肯定せざるを得ないのだ。

 佐賀新聞社が行った調査によると、玄海町民の多くが「仕事が見つかって出稼ぎをしなくて済む」「町は潤っている」などと言っているという。これが本音だろうし、それはそれで正当な理屈とも思えるが、そのようにいう住民たちが原発についてどこまで知っているのかは疑問である。「被曝」の危険性に関する情報が足りないのだ。「ただ金が入ればよい」「知ったところでどうなるものでもない」では済まない。原発周辺住民であればこそ、知っておかねばならないと思う。

 福島事故の経験者の高村美春氏がこんなことを言っていた。「自分が原発について無知であったことが悔やまれる」と。彼女は同時に、そのような「無知」の状態に住民を放置しておいた国や電力会社に「怒り」を感じるとも言っていた。情報ならいくらでも入る時代に、何も知ろうとしない人が多いのは、事が重大であるだけに深刻だ。

 もちろん、そうしたなかにも、住民の無知を何とか「啓蒙」しようとする人もいる。毎朝、唐津市役所前の通りに面したところで「玄海原発反対!」ののぼりをかかげる北川浩一氏については前にも言及したが、その北川氏の同僚で、今は故人となった進藤輝幸氏も紹介しておこう。氏は「玄海原発運転差し止め裁判」の原告団の1人で、2021年に敗訴している。

 氏の言い分をまとめると、国や電力会社が「安全神話」を広めているのが遺憾であるというのが1つ。2つ目は「フクシマの後始末ができていないのに再稼働するな」である。3番目は「電気よりも命が大切」というもの。そして最後に、玄海町長と佐賀県知事が同意すれば、「原発には問題がないことになってしまうのか?」という問題提起である。この進藤氏の言葉、同じ唐津市民なら耳をすませて聴くべきだ。

 ところで、先日、原発に関する私の考えを人前で述べていたら、「お前さん、いつから共産党なの?」と、とんでもない声が聞こえてきた。その時ふと思い出したのが、数年間、中国にいたときのことである。ちょうどコロナウイルスが出回り始めた頃で、私が知り合いの中国人に懸念を示すと、その彼が「政治の話はやめましょう」と言ったのだ。「一体、コロナのどこが政治なのか?」と思ったが、私は口をつぐんだ。日本にも、なんでも党派に結びつける悪習があるようだ。

 元首相の小泉純一郎氏はその点で「人間」としてマトモである。彼の著書『原発ゼロ、やればできる』にこう書いてある。「右も左も関係ない。国を愛するということは、原発をゼロにするということだ」と。

(了)

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