2024年11月05日( 火 )

城ガールが巡る日本の名城~浅井氏終焉の地・小谷城(3・後)

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目指すは大石垣

 山の奥に進むにつれ、当時を思わせる遺構が多々見受けられた。しかし、草木で覆われているため、油断していると見落としてしまう。表からは見えない崩れた石垣があったりするので、本当に侮れない。

 京極丸跡は大広間に次ぐ広大な場所であり、浅井氏が京極氏の居所として用意したと言われている。
 小谷城の戦いでは、羽柴秀吉によって攻め落された。この場所が落ちなければ、長政とその父久政が分断されることはなく、戦況も変わっていたかもしれない。何とも神妙な気持ちになった。
 京極丸跡から小丸跡へと移動しようとするが、道が見つからない。“あれ、行き止まり?”と探すと、階段のようなものを発見。どんどん道が荒れていく。

 小丸跡を進むと、大石垣が見えた。この大石垣は大きな石を積み重ね造られた3mを超す巨大なもの。自然に溶け込んだその姿は美しく、壮観である。石垣が好きな自分としては、この風景はたまらない。どの角度から見てもかっこいい。今までにないテンションでシャッターを切った。よく見てみると、石の大きさが本丸跡にあったものと異なっている。“せっかくなら測っておけばよかった”と軽く後悔。
 破城の跡である崩れた部分を登り、山王丸跡へ向かう。崩れた石には苔が茂り、月日の長さを感じた。

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体力残量との戦い

 山王丸跡が、私にとっての小谷城の終着地だ。もう何も残っていないその場所で、これまでの道のりを振り返る。
 手持ちの水も少なく、お腹も空いていた(麓で購入した餅のことは忘れていた)ため、下山へと気持ちを切り替えた。

 ルートを相談した際、おじさんが「この道嫌い」と話していた場所に差し掛かる。そして、この道が嫌われる理由を身をもって体感する。「歩きづらい」を通り越して「こわい!」のだ。石と岩のオンパレード、急な下り坂、掴まれる場所はなく、道幅も狭い。途中拾った杖(木の枝)を利用し慎重に降りていく。写真を撮るにも安全確認が必要。景色を楽しむ余裕は一切なかった。

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 恐ろしい下り道と六坊跡を抜け、「中部北陸自然歩道」と名付けられた道を下りていく。静かすぎる道は恐ろしく、忘れていた熊を思い出す。折れた木に道を塞がれること2回(木の下を潜った)、蜘蛛の巣で道を阻まれること3回(杖で破った)、草木に覆われた道を見失うこと2回(探した)、必死に山を下っていく。

 途中、「大野木屋敷跡」と「三田村屋敷跡」があった。よく見てみると、一部石垣が残っていた。
 ここで再び2人目のおじさんの話を思い出す。「この道で帰ると、途中2人の武将のお屋敷の跡が見れるよ。まーどっちも織田に寝返ったんだけど」。次に、麓の資料館で見た長政が最後にしたためた手紙を思い出す。忠義を尽くした家臣に対する手紙の中にあった「他の皆は裏切って離れていく(※意訳)」という言葉。
 ・・なんだかとても悲しい気持ちになる。気分は完全に長政さん寄りだ。

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 静かな道は、終わりのないように感じた。立ち止まると、疲れで右足が震え、左膝はつっぱるように痛む。熊の恐怖に怯えながら、鈴を振り鳴らし進む。“地上が恋しい。(安定した)地に足をつけたい。平地に会いたい。熊怖い。”と、散々なことを思いながら必死の思いで麓へ降り立つ。
 平地という安定感、山中でないという安心感。舗装された道路に愛しさすら感じた瞬間だった。

小谷城を振り返って

 小谷城の攻略は、想像以上に体力との戦いだった。“体力が持たない”という情けない理由で泣く泣く削った場所が非常に惜しまれる。それでも、また訪れたいという気持ちにさせてくれる魅力が詰まった城跡だ。
 今回の登城は、ボランティアガイドの方々にとても助けられた。行きと異なるルートで下山したため、改めてお礼を言うことができなかったが、この場を借りて改めてお礼を言いたい。本当に、お世話になりました。


 11月に入り、木々が鮮やかに色づく紅葉の時期がやって来た。「桜と城」と「紅葉と城」この組み合わせは、よりいっそうお城の魅力を引き立ててくれる。この機会にぜひ、お城を訪れてみてはいかがだろうか。

(了)
【城野 円】

 
(3・中)
(富岡城・前)

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