福島原発事故と甲状腺癌(中)311子ども甲状腺がん裁判における「権利」
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広嗣まさし
日本人にとって「権利」とか「義務」とかは西欧産の概念であって、翻訳されても一種の外国語といった部分が残ると思われてきた。のみ込んだとしても、消化できているかどうかあやしい、というわけだ。
ところが、昨今の日本においては、どうやら新しい状況が生まれている。「権利」と「義務」の理解と行使に関して二極化が起こっており、「権利」など自分には無関係とあきらめ、生き延びるためならどんな「義務」でも仕方なく受け入れるという態度がまん延する一方で、先鋭な「権利」意識に目覚め、それを果敢に主張する態度も生まれている。
二極化といっても、周囲から言われた通りに動く人の方が、自らの権利を主張して戦う人よりも圧倒的に多いにちがいない。現在の日本はそのおかげで成り立っている、とさえいえそうだ。しかし、ここ20年ほどの裁判を吟味してみると、真剣に「権利」を守ろうとして戦う人の姿が急増し、またそれを支える判決も増えている。これは日本における新傾向といえそうだ。
日本人は長いあいだ上下秩序に従順であったために「義務」の観念が強く、「権利」の意識は希薄だという印象がある。しかし、「権利」を争う訴訟が増えていることからすると、民主化が社会の底辺部にまで広がってきているという感もする。日本は変わりつつあるのか?
前置きが長くなったが、ここで問題にしたいのは、つい一昨年に始まった「311子ども甲状腺がん裁判」である。「311」とは11年3月11日の福島原発事故のことで、子どものときにこの事故で被ばくし、数年後に甲状腺癌にかかっている6人が起こした訴訟である。
この裁判は事故の責任者である東京電力を被告としている。原告によれば、自分たちの癌の原因は原発事故にあり、その事故の原因は東京電力の不手際にあったというのだ。
被告である東電は、事故そのものについては自分たちの落ち度を認めている。しかし、原告たちの甲状腺癌が事故によるものだということは認めていない。というわけで、この裁判、いまだに決着がついていない。
原告が強調しているのは「安全に生きる権利」である。被告はその「権利」を保障する「義務」を怠ったのだから、「損害賠償」をしてほしいという訴えである。
これに対して東電は、福島県の「県民健康調査」の結果、原発事故と甲状腺癌には「直接の因果関係はない」とわかったので、原告の訴えには従えないと回答した。原告側は「県民健康調査」は方法的に不十分なものであり、それを根拠とすることはできないと反論した。
東電側は、今度は国連の科学委員会の資料を引き合いに出し、甲状腺癌と原発事故には因果関係がないことは国連の科学委員会「UNSCEAR」も認めていると応じている。原告側はそこでひるむことなく、当該の委員会の認定には問題があるとし、別の資料を提出して自らの主張の正当性を訴えている。裁判はまだ続いており、これへの関心は日に日に高まっている。
原告側の弁護団長を務める井戸謙一氏によれば、原発事故後に子ども甲状腺癌にかかった人の数が急増したという決定的事実があるのに、国も県もこの多発の原因が「被ばく」にあることを「頑強に否定」したため、原告たちはかえってこれを「おかしい」と思い始め、それが起訴のきっかけになったという。
その後、原発事故と甲状腺癌の関係を訴える元首相・小泉純一郎氏が政府や自民党などからバッシングを受けるという事態が起こったことを知った原告は、県や電力会社の見解の裏に国の政治的圧力があることに気づき、思わず足がすくんだという。その圧力が日増しに強くなるのを感じ、被ばくによる「健康被害」を口にすることすらはばかるようになったそうだ。
ところが、ちょうどそのとき、NPO法人「3・11甲状腺がん子ども基金」の調査結果を知る機会があって、そこに示されている「真実」に勇気づけられた原告は、「自分たちだけでなく、無言で耐えているほかの同類のためにも」と考えて提訴に踏み切ったのだという。
以上から、原告の訴えには自分たちに多大な健康被害を与えた電力会社を訴えるという意味だけでなく、その背後にある「政治権力」への戦いも含まれていることがわかる。原告はそこまで意識していないかもしれないが、そこにこの裁判の大きさがある。
近代における「権利」が、個人が政治権力に圧殺されないために生まれたものであることを思い出すと、その大きさの意味がはっきりする。「子ども甲状腺癌裁判」の原告は、最も正統な意味での「権利」を主張しているのである。この裁判は、結果がどうあれ、日本の将来の在り方に大きく響くものとなろう。
「権利」は「法」が与えるものだというが、その「法」は法規ではなく、いかなる権力をも超えたものであることを知っておくべきだ。西洋ではこれを「自然法」と呼び、東洋では「天理」という。英語で「権利」はright(=正しさ)。「権利」の主張は、「正しさ」の主張なのである。
(つづく)
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