韓国人に大きなショックを与えた戒厳令(前)
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12月3日の突然の戒厳令
韓国で12月3日に出された突然の戒厳令は、約6時間後には解除されたが、一時は軍が出動する事態となり、国内外に激震が走った。韓国国防省は3日夜11時から翌日早朝4時にかけてヘリコプターを飛ばしたり、武装した軍人230名余りを国会に出動させたりした。さらに午前1時40分には軍人50人以上が追加動員された。国会に軍人が出動したのは、国会議長と与党代表、野党代表を逮捕するためだったようだ。
このニュースを聞いて驚いた大勢の市民が国会議事堂の周りに集まり、戒厳令に抗議。国会は素早く、4日未明に与野党議員190人が集まり、全員が非常戒厳の解除要求に賛成し、解除要求を議決した。
4日朝、韓国・ソウルの知り合い数人に「大丈夫か」と安否を尋ねる電話をかけた。戒厳令が宣言されたのは、北朝鮮に不穏な動きがあり、それに対処するための措置であると思ったからだ。しかし、今回ソウルでそのような動きがあって戒厳令が宣言されたわけでもない。韓国はいたって平穏で、社会が動揺している状況ではなかったようだ。そのような状況下で、国を守るべき大統領が自身を守るために戒厳令を宣言したのだ。
戒厳令を宣言したことで、株価は暴落し、為替市場は大幅ウォン安となった。また韓国へ行く出張者・旅行者のフライト予約のキャンセルが相次ぎ、韓国経済と外交の信用を大きく失墜させた。
戒厳令とは
戒厳令とは、戦争・紛争や内乱、大災害など平穏な日常とは異なる非常事態に際し、基本的に憲法を一時的に停止して、大統領もしくは大統領が指名する戒厳司令官の下に行政および司法の権限を集中させるという非常措置である。
戒厳令が宣言されると、政治的な活動が大きく制限されることになる。韓国で最後に戒厳令が宣言されたのは、1980年5月の光州民主化運動の時期で、当時まだ大統領ではなかったチョン・ドゥファン(全斗煥)の指導の下、戒厳令が宣言され、国会が閉鎖、政治活動が禁止され、後のチョン・ドゥファン体制へとつながっていく。今回の戒厳令は韓国が民主化されてから初めての戒厳令で、80年以来、44年ぶりとなる。
韓国では79年12月12日のクーデターを映画化した「ソウルの春」が大ヒットし、1,300万人の観客を動員した。ただ、「ソウルの春」はあくまでも「40年以上前の昔話」であり、その映画の場面が今になって再現されるとは韓国人の誰もが思っていなかった。韓国はその間、飛躍的な経済成長を遂げ、80年代と違い社会が安定している。それに、数十年前と異なり、現代の軍人は社会をリードするような集団ではない。さらに、スマホなどの情報革命で、秘密を保持しながら作戦を遂行することが難しくなっており、韓国では、もはやクーデターはあり得ないというのが定説であった。
韓国憲法には総議員の過半数が戒厳令の解除要求を決議した場合には、大統領は宣言を解除しなければならないという規定がある。大統領の暴走をけん制するための装置である。今回、韓国の国会議員が素早く対応したことで、大統領の無謀な戒厳令騒動は人命に被害をおよぼすことなく収まった。
(つづく)
【青木義彦】
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