2025年の年男(1)孫正義 (1) 「青雲の志」を抱き続ける不屈の投資家の半生
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「怪物」が久々に脚光を浴びた。ソフトバンクグループの創業者・孫正義は、ドナルド・トランプ次期大統領に贈り物をした。それは米国で人工知能(AI)および関連技術に1,000億ドル(約15兆円)を投じるという約束だ。大ボラを次々と現実のものにしてきた不屈の投資家・孫正義の若き日の軌跡を3回に分けてたどってみよう。(文中敬称略)
起業初日:大言壮語にアルバイトがあきれて辞める
「我が社は5年以内に100億円、10年で500億円、いずれ1兆円の企業になる」
孫正義は1980年、アルバイトの社員2人を雇って、現在のソフトバンクの前身であるユニソン・ワールドを興した。福岡市南部、西日本鉄道沿線の雑餉隈の雑居ビルの2階で行った最初の朝礼で、みかん箱の上に立った孫正義は「30年後の我が社を見よ」と1時間にわたってぶち上げた。
「30年後には豆腐屋のように1兆(丁)、2兆(丁)と数えるぞ。1,000億円、5,000億円はものの数ではない。1兆円、2兆円と数えて、初めての本物だ!」
あまりの大言壮語ぶりに、アルバイトの2人は「この人はおかしいのではないか」とあきれ返り、2週間もしないうちに辞めてしまった。だから、孫正義1人での起業となった。
孫正義が講演会でよく口にする起業当時のエピソードである。「商売をするには、東京だ」と81年9月、日本ソフトバンクを東京・千代田区に設立した。以下、有森隆著『リーダーズ・イン・ジャパン』(実業之日本社刊)を要約・引用する。
孫正義は現代の「怪物」なり
福岡の片隅で産声をあげた小さな会社は、40余年経過した今日、豆腐屋のように1兆、2兆を数える企業になった。連結売上高は6兆円超、株式時価総額は13兆円超と、日本の株式市場で10位にランクされるグローバル企業に大化けした。
昔も今も「怪物」と呼ばれている人間はいるが、現代の「怪物」の筆頭は何といっても孫正義であろう。社会評論家の大宅壮一は「怪物」をこう定義している。
「馬鹿では怪物になれないが、利口すぎてもいけない。複雑怪奇で割り切れることができないばかりではなく、分母も分子も大きくなければならない。行動半径が大きくて、振幅が広いことを必要とする。心のなかの奥の院は他人にのぞかせないし、うかがってもわからない。要するに、怪物とは“一筋縄ではいかぬ”人間のことである」
怪物とは容貌魁偉でなければならないはずだが、一見、孫正義は童顔で柔和そうに見えて、猛々しさは感じとれない。とはいえ、誇大妄想のようなことを平然と語りながら、虚言と思わせないところがある。
リヤカーで育つ
孫正義の元の姓は安本正義である。1957年8月11日、在日韓国人の安本(孫)三憲・(李)玉子の、男ばかりの4人兄弟の次男として佐賀県鳥栖市で生まれた。
孫正義の生き方に大きな影響を与えたのは祖母である。祖母は14歳で、親戚が1人もいない日本にきて結婚した。泥水のなかで7人の子どもを育て、飢えをしのぐのがやっとの毎日だった。祖母の長男が孫の父親・三憲だ。中学を卒業すると、魚の行商をやり、その後、養豚業を始めた。国鉄の線路脇の空き地にトタンを組み立てたバラックで暮らした。
3、4歳のころの孫正義は、半分に切ったドラム缶が3、4個載ったリヤカーで育った。ドラム缶には残飯を入れた。祖母は駅前の食堂の残飯をもらい、豚を育てた。
孫正義は幼稚園に通っていたおり、「朝鮮人!」とののしられ、額に石をぶつけられたことがあった。在日韓国人三世であることを隠し、日本人であるかのように振る舞わねばならないことが、孫正義にとって大きなコンプレックスだった。
パチンコ店で成功した父の三憲は、在日韓国人が生きていくためには日本人の2倍、3倍努力しなければならないと考えていた。だから、どんなに貧しくとも子どもの教育にはカネを惜しまなかった。「おまえは天才だ」と繰り返して吹き込んだ。孫正義が中学に入学すると同時に一家は福岡市に移り、正義は福岡市立城南中学に転入した。もっと上の学校に行かせてやりたいというのが父親の願いだった。
【森村和男】
(つづく)
法人名
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