2025年の年男(1)孫正義 (3)19歳で「人生50年計画」を立てる
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カリフォルニア大学バークレー校で死ぬほど勉強した
1974年3月に渡米した孫正義は、半年ほどカリフォルニア州オークランドにあるホーリー・ネームズ・カレッジの英語学校に通った。9月になり、サンフランシスコセラモンテ高校の2年に編入学する。授業の内容は英語が分かればすべて分かると、学校側にかけあい、1週間で3年生に、さらに3、4日で4年生に飛び級。さらに1週間後にはカリフォルニア州の高校卒業検定試験に合格したため、高校を3週間で退学した。
そして75年9月にホーリー・ネームズ・カレッジに入学。2年間、そこで勉強したのち名門校であるカリフォルニア大学バークレー校経済学部の3年生に編入した。
大学ではめちゃくちゃに勉強した。いつも前列のど真ん中に座って、食い入るように先生を見て勉強した。トイレに行く時も教科書から絶対に目を話さない。道を歩くときも教科書を読む。運転する時もイヤホンで授業の内容をテープでもう一度復習する。眠っている時間以外はすべて勉強した。
血を吐いている父親を置いて、泣いてすがる母親を振り切って米国に来たのだ。命を燃やして、身体がちぎれるほど勉強しなければ罰が当たると心に誓った。
マイコンのチップの基盤写真に衝撃を受ける
バークレー校3年生のとき、突然の出会いが訪れた。科学雑誌『ポピュラーサイエンス』誌(1975年1月号)のインテル社のチップの拡大写真である。読みながら道を歩いていた。何やら未来都市の設計図のようなカラー写真だった。
「不思議な写真だな」と思って次のページをめくったら、これがなんと、マイクロコンピューターのチップの基盤写真だったということを知った。
人類は、脳の働きを超えるかもしれないものを創造したという事実を知り、これからどのように人類社会が発展するかを想像して、孫はガーンと衝撃を受けた。両手両足も指先がジーンと痺れて止まらなかった。
偶然の一致だったが、ここに1つの歴史の真理をみることができるかもしれない。ビル・ゲイツは、ハーバード大学のキャンパスでこの雑誌を読んで、孫と同じように衝撃を受けた。先を越されたと焦り、マイクロソフトを起業したのは有名な逸話である。
「人生50年計画」を作成する
「志」の方向が決まった。衝撃をバネにして「人生50年計画」を作成した。19歳の時だ。
〈20代で事業家に名乗りを上げ、30代で軍資金を最低で1,000億円貯め、40代でひと勝負し、50代で事業を完成させ、60代で事業を後継者に引き継ぐ〉というプランである。
大風呂敷と言いたい人がいれば、言わせておく。孫は、行きあたりばったりの人生が嫌なのだ。惰性に流されたり、他人に人生を決められるのが、とくに嫌だった。
どうせ1度しかない人生、悔いを残さないようにガンガンやる。大きなプランを描いて実行する。高い目標をぶち上げて自己暗示にかける。孫の人生を貫いてきたやり方だ。
孫は有言実行の人である。
1日1つ発明することを課した
そのプランを実行するために、まず発明で稼ぐことにした。孫は、1日1つ発明することを自分に課した。孫は、1年間に250もの発明をやってのけた。そのなかに、世界初の音声付の自動翻訳機があり、教授・研究員とともに開発した。
外国旅行中に外国人と話すときに、電卓のように日本語で「トイレハドコデスカ」とキーボードで入力すると、英語やフランス語に同時に翻訳されて、音声が出てくる。
この発明をシャープに買ってもらい、1億円の特許料を得た。この1億円でバークレーにあったゲームセンターをビルごと買収して、会社ユニソン・ワールドを設立した。日本で流行していたインベーダーゲームを、ブームが沈静化した後に大量に安価で買い取って米国で販売した。学生起業家、孫正義の誕生である。
大学在学中に当時のカネで3億円以上を稼いだ。もっとでかいことをやりたいと考え、その会社を共同経営者に譲り渡した。
(つづく)
【森村和男】
法人名
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