熱くなれ、教育変革(後編)~教育で人は動かせるか~(後)

 「一斉授業」。先生たちが皆、気づいているのに止められないものの1つだ。昔であれば「できない子」「普通の子」「できる子」のうち、「普通の子」に向けて「一斉授業」していれば7割がたの生徒に通用した。だが、時代はすっかり変化したにもかかわらず、知識を一方的に伝達するそのスタイルから抜けられない。自治体の教育方針や各校の教育目標には「児童生徒1人ひとりに応じた学習活動」や「個性を伸ばす」「多様性の重視」などといった、個を尊重するきれいごとのオンパレードが並ぶ。なのに、その手段は相変わらず一斉授業―それらを実践できる環境にない。

学園ドラマ『女王の教室』

「女王の教室」 筆者イメージ画
「女王の教室」 筆者イメージ画

    2005年に放送され、衝撃の問題作としていまだに語り継がれることの多い、「女王の教室」。タイトルの通り「女王」のような存在の教師と、小学6年生の児童たちとの闘いを描いたテレビドラマだ。教師の阿久津真矢は、徹底的に冷徹な女性教師として描かれ、成績で子どもを差別し、教え子たちの秘密を握り、保護者を手懐け、子どもたちを競争へと駆り立てていく。しかし、ただ恐ろしい存在だけではなく、自分が子どもたちにとって乗り越えるべき存在として敵対しており、本来は主人公たちのことを成長させたいと思っていることが徐々にわかってくる。その彼女の哲学が見えるセリフが、こちらである。

 「愛することと、甘やかすことは違います。12歳の子どもなんて、未完成な人間なのよ。その未完成な人間に、媚を売ったり、彼らを甘やかしたりしてどうするんですか!罰を知らないで育った子どもは、社会に出ても、問題や事件を起こす大人になるだけ。そういう人間をつくらないために学校はあるんじゃないですか?だから私はルールを乱したり、反省をしなかった児童には罰を与えます。学校を辞める子が出てきても構いません。他の児童に悪影響をおよぼす子なら、いないほうがマシです。」

 これは、その当時の人たちに大きな影響を与えた。モンスターペアレントの存在もあって、保護者のことを気にして子どもに対して優しい態度を取る先生が多いなかで、このセリフはアンチテーゼとして捉えられたのだ。ドラマ放送後、「なぜこのような苛烈な教育を是とする女王が誕生したのか」という話が語られた。初めはすごく真面目な先生だったが、子どものことをいじめから守れなかった自分の過去を責めて、教師としての限界に悩み、冷徹な女王になっていく…という過程が描かれる。つまり、このドラマのテーマの1つに、「先生の限界点」があったのである。先生という存在が今の時代に無力であり、そんななかで先生として本当の意味で生徒を守るには、ここまで極端な存在にならなければいけないのかもしれない…そういうメッセージが込められていたのではないだろうか。

“先生”の現在地

“先生”の現在地 PhotoAC
“先生”の現在地 PhotoAC

    学校はその昔、「輝きのある存在」だった。明治5年の学制発布で、近代の学校がスタートした。当時、農村社会では子どもは労働力だったので、各地で反対運動の一揆が頻発した。それを治めるために明治政府は、村一番の近代的な建物として学校を建築し、村唯一のホワイトカラーとして教師を派遣。そのキラキラ感で子どもたちを魅了した。輝きのある存在だったからこそ、ルールや校則を押し付けることができ、一斉に従わせることが可能だったのだ。学校や先生が、無条件に信任を受けていた時代だからこその芸当だろう。

 かつて学校の先生は、子どもたちの憧れの仕事で、なりたい職業ランキング上位の常連であったが、今では過去のもの。影を潜めている背景には、現代の学校教育の仕組みのなかで、教員の根本的な役割がズレてきているからだと言われる。教育がサービス産業化し、サービスが過剰になると文句を言われやすくなるので、やってもやっても責められる。生徒からも蔑まれ、保護者からもクレームを受ける毎日。本来喜ばれる存在にならなければならない教授側の先生が、今や問題や課題に成果を見出せないまま、重たい十字架を背負った“クレーム処理係”と化している。喜ばれるどころか、疎ましい存在にさえ向かっている。過剰な長時間労働で業務も増え続け、1人の教師がさばける仕事量を超えていることも、イメージを落とす要因になっているだろう。

 公立学校の教員は、給料が月額4%上乗せされる代わりに残業代の支給がされないことが法律(教職員給与特別措置法)で決められている。名目は「教職調整額」。勤務時間の線引きが難しいという思想の下、「残業代」とは表現されない。つまり、働いた時間に対する賃金が見合っていない。賃金でさえ、過酷な労働を支える報酬になっていない。ちなみにこの「給特法」は1971年に制定され、当時、月平均8時間程度の残業時間に基づき算出されたもの。現在、その4%を10%に引き上げる議論がされているが、現場からは不満の声も。対価は数%でくくられるものではないし、そもそも給料を上げてくれという訴えではなく、長時間労働を解消するための根本的な働き方改革を求めている。数字では測れないほどの激務に、「定額働かせ放題」と言われ、現場の先生たちは疲弊している。

 たとえばPTA・同窓会の会計、学校のHPの更新、奨学金の窓口―、部活の顧問ともなればそれ以上に、また土日も出勤──教員は授業や保護者対応(×生徒の数)以外でも忙殺される。結果、公立教員1カ月の残業時間(平均)が、膨大に膨れ上がっているという。教員自身にモチベーションを支えるものがなくなり、結果、不幸せな状況に陥っている。教員から事務仕事を切り離して、教員と職員に仕事を仕分けする。教員でなくともできる仕事は、職員に割り振って、教員の負担を軽くしなければ成り立たないところまできている。

大衆化された教育学部

 かつて教員になれるのは、師範学校やその後継大学卒のエリートだけだった。今では多くの大学に教育学部ができ、それは大衆化された。教員になる意思を固めた人材のうち、子どもの成長に早くから加担したいという志のある人は、小学校教諭を目指す。研究実績があれば、大学にそのまま残るだろう。専門意識が強ければ、部活を指導しながら専門教科を教えるために、高校や高専の教員を目指す。その意味では、中学の教員は難しいポジションかもしれない。一番悩みが深く反抗心も強い、しかも自分が何者かわからずに大人になりかける15歳前後の子ども相手に、一番人生経験の浅い大人が当たるから、事態を収めるのが難しくなる。中学校や学力的に厳しい普通高校が荒れるのは、ある意味では当然なのだ。

大衆化された教育学部 筆者イメージ
大衆化された教育学部 筆者イメージ

    世の中で揉まれた経験がないままに、若者が「先生」と呼ばれてしまう現実。保護者や地域社会で意識が高い人々のなかに、教育学や心理学を学んだり、海外の学校事情に詳しい人物も十分混ざってきた。大半の保護者は「この人物は先生として大丈夫なのだろうか…」と、疑ってかかる人もいる。教員になるのは、だいたいオール4だった人が落ち着く傾向にあるという。5がいくつもあったら教員にならないし、2や3ばかりでは無理だという相場が存在する。さらに、教育課程を経て先生になる学校の偏差値が、必ずしも意識の高い保護者が卒業した大学の偏差値を超えるわけではない現実もある。総じていえば、教員の平均的な学力と、学校に積極的に関わってくれる保護者の平均的な学力が、どこかで逆転してしまったのだろう。現在も学校に赴任した早々「先生!」と呼ばれるのは変わらないが、それは尊称ではなく、ただの“ハンドルネーム”に過ぎなくなっていて、それほど学校全体の信頼度が高くないところにあるということだ。

学校を開こう

学校を開こう pixabay
学校を開こう pixabay

    教員免許がなければ教壇に立つことができない構造も、問題だろう。成熟社会では正解が多数、もしくは1つに絞れないことが多いから、アクティブラーニングや探究授業が切望されている。しかし、学校の先生は「正解を教えるプロ」であって、正解がない問題へのアプローチを教えるのは難しいのではないか。だからこそ、学校を職員室の先生だけで運営する時代を終わらせ、地域社会の資源を学校につなげるべきなのだ。学校をもっと開いて、地域の人が入ってきたり、施設の二毛作などの利活用などで外部の活力を使う。大学生や塾の講師、地域に戻ってきた団塊世代やIT企業のビジネスパーソン…。学校の運営には、地域社会を加えることが望ましい。「一斉授業」も含め、学校を教員だけで運営するのはもう無理なのだ。学校という車は、職員室の先生と地域社会の両輪で動かしていく。教える側の人員を増やして、対応できる有効性を拡げるのだ。

 日本でも、兼業をもっと大幅に認めてもいいだろう。本来、公立学校の教員には、自らの専門性を生かした兼職・兼業が幅広く認められている(教育公務員特例法第17条第1項)。でも、もっと自由なデュアルワーク・スタイルの教員が出てきてもいい。たとえばeスポーツとの兼業はやりやすいだろうし、ユーチューバー教員も出てきてほしい。週末起業をして、オンラインで独自に開発した教材の販売をしてもいい。そうした豊かな人生を営む大人こそが、次世代を拓く子どもたちを教えるにふさわしい。兼業で得た知見や体験談が、本業での授業のよもやま話に活きるだろう。そうでないと、子どもたちのイメージできる職業が、親の仕事か教員、あるいは通学路の途中にあるハンバーガー店やコンビニ店員のような、身近な存在のものに限定されていきかねない。子どもにとって数少ない社会との接点である教師や保護者、友人関係の同調圧力に影響されて、一方的に考えが歪められてしまうことも多い。多様な人と考え方に触れることは、そんな偏りを緩和してくれる一助にもなるだろう。

新しい学力観を

 現代では、多くの人が通る「受験」という試練は、必ずしも自分の言葉(社会における自分の考え)を持つ方向には働いていない。学校のアウトカム(どういう結果を出したいか)は、現在では「学力を重視」「テストの点数を重視したもの」になっている。受験を含めた知識偏重型の勉強といっていいだろう。「一斉授業」という時代に合わなくなったシステムは、学校の先生たちを学力至上主義から解き放てなくしている。「勉強」というと、どうしても学校で習う教科のことと思いがちだ。でも「どうして?」という子どもの疑問や質問こそが、“学ぶこと”の入口。最低限のリテラシー教育は必要だけれど、社会変革が激しくなったこの時代に、年長者の常識がそのまま通用するとも思えない。むしろ「自分で新しいものを探しに行く姿勢」が身につくほうが、将来的にどんな環境でも適応できる力になる。

新しい学力観を 筆者イメージ画
新しい学力観を 筆者イメージ画

    昨今、日本の学校が世界で成り立つ教育なのかが問われている。今求められているのは、自分で考え発想し、行動する自立した人材。だから我々大人は、“子どもたちに教えなければならないことって何なの?”といった「新しい学力観」をもって、新しいストーリーを始めていく時期にきている。柔らかで多様な豊かさのある成熟社会を実現するために、学校と家族と地域社会とが力を合わせて、もう一度子どもたちが小さいときに育むべき「世界観」を編集し直さなければならない。学校も、その呪縛から解放されていくことを願うばかりだ。

 大人が固定的な常識や古い世界観で邪魔をしなければ、子どもたちは新しい時代をつくる力を存分に発揮できる。天才性とは、ただの生得的才能だけでなく、多くの場合「タイミング」と「理解者との出会い」が大きく作用する。子どもが自分のアイデアをどこまでかたちにできるかは、周囲の側がその才能をどのように支えられるか、とくに家族や学校が肯定的に見守れるかにかかっているのではないだろうか。才能は生まれつきではなく、育て方次第で芽吹かれる。多種多様な経験が、子どもたちのスキル形成に役立つ。勉強だけが人的資本の投資として重要なわけではない。人生を通じて、価値ある「何か」を探すために、自分の興味がある分野に飛び込み、学び続けてほしい。静かにその背中を押してあげるのが、大人の務めだと思う。

(了)


松岡 秀樹 氏<プロフィール>
松岡秀樹
(まつおか・ひでき)
インテリアデザイナー/ディレクター
1978年、山口県生まれ。大学の建築学科を卒業後、店舗設計・商品開発・ブランディングを通して商業デザインを学ぶ。大手内装設計施工会社で全国の商業施設の店舗デザインを手がけ、現在は住空間デザインを中心に福岡市で活動中。メインテーマは「教育」「デザイン」「ビジネス」。21年12月には丹青社が主催する「次世代アイデアコンテスト2021」で最優秀賞を受賞した。

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