『週刊現代』元編集長 元木昌彦 氏
巨大で強暴な権力の前でジャーナリズムは無力か? それは権力と対峙しようという覚悟をもったジャーナリストがいなくなったためではないのか? 言論の自由が蔑ろにされている「時代」を考える。
暴走するトランプと世界の無法化
一昨年の年初には能登半島地震、そして日航機と海保機の衝突事故があった。そして今年の年初は“暴君”トランプ大統領がベネズエラに攻撃を仕掛け、マドゥロ大統領夫妻を拉致してアメリカに連行するという国際法を無視した“暴挙”で始まった。
トランプに大義はない。ベネズエラの麻薬が大量にアメリカに流入しているのを止めるためといっているようだが、本心は、かの国にある大量の石油が目当てだと指摘するメディアが多い。
何やら、数十年前にCIAが世界中を跋扈(ばっこ)して、拉致・暗殺を企てていた時代へ戻ったような気がした。
だが、トランプの野望はこんなものではないようだ。コロンビアもベネズエラ同様、麻薬を大量にアメリカに流入させているとして、軍事侵攻の可能性をちらつかせ、さらにデンマークの自治領であるグリーンランドをよこせといい出している。領有に向けた手段として軍事力の行使も否定しないとするなど、ローマ帝国の第5代皇帝「暴君ネロ」も真っ青の“乱心”ぶりである。
共和党内からもトランプのやり方に異を唱える議員が出てきているようだ。ネロは、最後は追い詰められて自殺したそうだが、はたしてトランプはどんな最期を迎えるのだろう。
高市政権の危うさと「自分ファースト」政治
ところで、トランプはニューヨーク・タイムズのインタビューで、中国の台湾攻撃の可能性について触れ、「習近平国家主席は台湾を中国の一部と見ていて、何をするかは彼が決めること」だと述べている。
高市早苗首相は、このトランプの言葉を聞いて茫然としたのではないか。
昨年秋の国会で「台湾有事発言」をして、中国との関係は過去最悪になっているとマスメディアは報じているが、私が記憶している限り、中曽根康弘首相や小泉純一郎首相時代も、中国との関係は相当悪化した。
高市首相もそうした“体質”をもった政治家なのだから、驚くことはあるまい。だが、中曽根はレーガン大統領と、小泉はブッシュ大統領と太いパイプをもっていた。
高市首相はレーガンとの間に強い信頼関係はなく、かつて安倍の部下だったというだけの縁しかない。トランプ大統領にとって、目の上のタンコブは中国なのだから、高市首相に気を遣っている暇などない。このまま日中関係がギクシャクしていくなら、トランプ大統領はいつでも高市首相を見放すはずだ。
就任以来、公明党の離脱、おこめ券に代表される杜撰な物価対策もあり、党内からも批判される高市首相は、国会召集日に解散するという大博打を打った。
衆院選で単独過半数を取るつもりだといわれる。たしかに、各紙の世論調査で、いまだに70%前後の支持率がある。支持が下がらないうちに選挙をやり、自民党単独過半数を獲得して党内を黙らせ、うるさい要求をしてくる日本維新の会をほっぽり出し、すり寄ってくる玉木国民民主党を振り払い、トランプのように「わがまま勝手、やりたい放題」の独裁政権をつくりたいのだろう。
「だから女というものは」などというつもりはない。為政者の本音はそんなものである。国民の幸せではなく自分の幸せ、日本ファーストではなく自分ファースト。サナエの、サナエによる、サナエのための日本に「この国を大改造する」ことを目指すのは、政治家ならば当たり前なのではないか。
そうなれば、師と仰ぐ安倍晋三元首相を超える長期政権をつくることができる、そう考えているようだ。
世論調査という幻想と選挙の行方
今さらだが、世論調査が民意を反映していないことは昔からいわれてきている。元共同通信社社長でジャーナリストの原寿雄の『ジャーナリズムの可能性』(岩波書店)のなかの、この言葉を引用しておきたい。今も内実はまったく変わっていないからだ。
「最大の問題点は、事実についての十分な情報・データの提供なしに行われる世論調査の意味である。たとえば集団的自衛権について、その意味や、誰がどういう理由で賛成・反対しているのか、あるいは、解釈改憲で今のままでも実行できる論とできないとする論についての解説など、多くの材料がどれだけ新聞・放送から提供され、読者・視聴者に理解されているのか。その実情を無視して賛否を問うことにどれだけの意味があるのかを問いたい」
2005年時点で、NHKの調査では『憲法を読んだことがない』の回答者が43%に上っていたそうだ。そういう現実の上で改憲・護憲の世論の調査をすることにどれだけの意味があるのかと、原は問うているのだ。
その時から20年以上が経ち、憲法を読んでいない人間、なかでも若者の数はさらに増えているに違いない。
一足先に週刊誌が選挙予測をしているが、週刊ポスト(1月30日号)は「高市“孤独の総選挙”で自民党最大270議席超え」と報じている。
ほかの週刊誌も「自民党単独過半数獲得」と読んでいるようだ。
野党第一党だが凋落が顕著な立憲民主党は、公明党と新党を結成したが、「中道」「リベラル」などという言葉が死語になりつつある今、どれだけ票を集められるのだろうか。
前回の参議院選で参政党が伸びた理由は「日本ファースト」という、わかりやすいキャッチフレーズのおかげでしかない。
トランプ大統領の「Make America Great Again(MAGA)」の模倣だが、どの政党にするか迷っていた若い層に刺さった。
かつては、「日本列島改造論」(1972年・田中角栄)、「所得倍増計画」(1960年・池田勇人)などの名キャッチがあり、有権者は熱狂し、投票所へ出向いた。
こうした突き刺さるキャッチが中道新党にできるかどうかが、勝敗の分かれ道だと考えている。
私ならこういうキャッチを考える。
「戦争が高市の奥に立っている」
いまさらいうまでもないが、これは俳人・渡辺白泉の「戦争が廊下の奥に立つてゐた」のもじりである。
高市首相の「強い日本を取り戻そう」というウルトラ保守的な発想は、軍備増強、核保有へと進み、いつか来た道へ逆戻りする危険性を常にはらむ。
積極財政VS消費税減税では弱い。保守VS中道では勝てない。高市政権というより、自民党のなかのウルトラ保守連中の考えていること、「憲法九条破棄、軍国主義復活、徴兵制、中国・韓国を殲滅」を一言で粉砕する言葉を生み出すことだ。
無力化するメディアとジャーナリズムの使命
ところで、久米宏が亡くなった。81歳だった。
テレビのニュースを革命的に変えたといわれる。とくにテレビ朝日の『ニュースステーション』(現・『報道ステーション』)では、時の首相でも怯むことなく舌鋒鋭く追及し、怒って帰ってしまった者もいた。
久米に権力のチェックがメディアの使命だと教えてくれたのは、ラジオで一緒だった永六輔だったという。
久米に16年と17年にインタビューした朝日新聞の編集委員・後藤洋平が、1月14日付で、久米についてこう書いている。
《メディアを取り巻く環境は年々厳しくなり、久米さんがキャスターを務めていた時代に比べて、テレビでも出演者の自由な発言が減ってきたように感じる。記者がそう話すと、「今、テレビが不自由というのは思い込みかもしれない。政治の圧力も取りざたされるが、どちらかというと自己規制で、自分たちで手足を縛っているのでは」と返ってきた。
そして、テレビも新聞も権力に対して堂々と厳しく批判すべきだ、とも。「朝日新聞は、たたかれ足りない。もっとたたかれたほうが良い。世間や政権からたたかれるってことはメディアの勲章ですよ。大まじめにそう思いますね」と言って、また笑っていた。》
私が昔からいっているように「タブーをつくるのはメディア自身」なのだ。
トランプの暴挙を許してしまっているのは、今のメディアが無力だという証である。ニューヨーク・タイムズもワシントン・ポストもかつてのような激烈な政府批判はできていない。
日本の新聞、テレビはもちろん、週刊誌は不倫話だけしか追いかけない「あってもなくてもいいマスゴミ」に堕してしまっている。
ニューヨーク・タイムズがデジタル化で成功したといわれている。しかし、登録者数が増えている理由は、現政権への的確で痛烈な批判記事でも社会的弱者の問題に切り込むというのではなく、サイト内でゲームもできるようにしたからだそうだ。
もはやメディアの役割は権力監視などといっても、何を寝言をいっているのかと怒鳴られるだけなのだろう。
年末年始にかけて、ジャーナリズムについて考えるために、メディアをテーマにした映画を何本か見直してみた。
そのうちのほとんどはかつて見たものだが、メディアが今何をすべきかを考えさせられ、心を新たにしてくれた。
いくつかを紹介しよう。
まずは『コレクティブ 国家の嘘』(19年)。15年10月、ルーマニアのブカレストのクラブ「コレクティブ」でライブ中に火災が発生して27名の死者と180名の負傷者が出た。だが、命を取り留めたはずの入院患者が次々に死亡してしまう。
事件の背景には、莫大な利益を手にする製薬会社と、彼らと黒いつながりをもった病院経営者、政府関係者との巨大な癒着が隠されていた。
実話である。この事件を追うのがスポーツ紙「ガゼタ・スポルトゥリロル」の編集長というのが面白い。
しかし、これほど国家の大嘘が明らかになっても、選挙で有権者は同じ政党に投票してしまうのである。今の日本と似ていないか。
このなかにゲーテのこの言葉が出てくる。
「偽りの自由こそ何よりも人を隷属させる」
今の日本もアメリカも本当の自由はない。
映画『スポットライト 世紀のスクープ』(15年)。02年1月、米国の新聞『ボストン・グローブ紙』が、カトリック教会の数十人もの神父たちによる少年少女への性的虐待を、教会が組織ぐるみで隠蔽してきたことを暴いた。記者たちの壮絶といいたくなる記者魂に心が震える。
私のような無宗教者にはカトリックの巨大さはピンとこない。だが、その巨大な権力はトランプ大統領の比ではない。
当然、陰に陽に、さまざまな圧力が編集部にかかってくる。はたしてこの記事を掲載できるのか。
そんなとき、グローブ紙の編集局長のこの言葉が心に残る。
「私たちは毎日闇のなかを手探りで歩いている。そこに光がさして初めて間違った道だと分かる。この記事は間違いなく多くの読者に大きな衝撃を与えるだろう。私たちの仕事はそんな記事を書くことだ」
「スポットライト」とは名物コラムの名称だ。グローブ紙はそこで600本の記事を書き、247人の神父たちとカトリック教会の大罪を暴いた。
もっと書きたいが紙幅がなくなった。この続きは次号で。
1月20日からハワイへ行ってくる。世界一物価が高いといわれるハワイで、1ドル=160円という超円安をどう体験したか、次号で報告したい。(文中敬称略)
<プロフィール>
元木昌彦(もとき・まさひこ)
『週刊現代』元編集長。1945年生まれ。早稲田大学商学部卒。70年に講談社に入社。講談社で『フライデー』『週刊現代』『ウェブ現代』の編集長を歴任。2006年に退社後、市民メディア「オーマイニュース」に編集長・社長として携わるほか、上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。日本インターネット報道協会代表理事。主な著書に『編集者の学校』(講談社)、『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)、『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、『現代の“見えざる手”』(人間の科学新社)、『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)など。








