高島福岡市政の16年(4-1)団塊ジュニアの価値観が市政を推進?

 高島市長の不出馬宣言以降、市議選並みに候補者が湧き出て戸惑うばかりの市長選。筆者は福岡市の片隅で、細々と地域のコミュニティ活動などにかかわってきた一庶民だが、このたび、その視線から「高島市政の16年」への感想、そして「これからの福岡市に求められる地域コミュニティ政策」について書くようお声がけをいただいた。立場も実績も能力も、すべての面でおこがましい限りなのだが、1つの視点として何かの参考になれば幸いと考える。しばしお付き合いください。

地域コミュニティから眺めた高島市政16年(1)

団塊ジュニア世代の市長

 私は高度成長期ただなかに育ち、バブル期に20代を謳歌した、いわゆる「新人類世代」である。高市早苗首相もほぼ同年代。いつの時代も「若い奴の考えていることはわからん!」とは年長者の弁であるが、読者諸氏は今どきの新入社員Z世代とのギャップに頭を悩ませたりはしていないだろうか。

 1974年生まれの高島氏は団塊ジュニア世代に属する。「就職氷河期世代」とも称される。一歳下には日本維新の会代表の吉村洋文氏がいる。

 「人格を世代でくくるな」という意見があるのは承知の上で、やはり価値観形成に何らかの影響はあると筆者は考える。

 一般的に団塊ジュニア世代は「人口が多く、厳しい競争を受験や就職で強いられた一方、バブル崩壊後の景気低迷期に青春を過ごしたため、贅沢や無駄遣いを嫌い、実利的で合理性を重んじる」と言われている。真面目で努力家、贅沢を好まず理を尊ぶといったところか。

 高島氏の近著『福岡市の問題解決 街の景色を変えたリーダーシップ進化論』を読むと、思考のベースにその特性が横たわっているという印象を受けた。情と理を天秤にかければ決断は常に理に傾く。情は理を貫くための手段というスタンスだ。

 余談ながら天神ビッグバンで古き良き町の風情が消えたとケチをつけているのは、消費とレジャーに人生の重きをおいて生きてきたポスト団塊や断層世代が多いらしい。

 いつまでたっても楽観論から抜け出せない覇気なき先輩たちに抗し、尻に火をつけ鼻先にニンジンをぶら下げ、是非はともかくビッグプロジェクトを始動させたエネルギーの源泉には「先延ばし拒否」の共有される世代的危機感を感じ取れるのだ。

団塊ジュニアは福岡市のボリュームゾーン

 表1は福岡市の住民基本台帳をベースにした令和7年9月の人口ピラミッドだ(外国人は数値に含まれない)。

【表1】福岡市の人口ピラミッド
【表1】福岡市の人口ピラミッド

 実は現在の福岡市でピラミッドの頂点にあるのは、高島市長と同世代の「団塊ジュニア層」(50~54歳)である。このゾーンの価値観が、36歳で就任した若き市長とフィットしたことが、実は大きな推進力を生んだのかもしれない。あくまでも推察でしかないが…。

 だがしかし、就任16年経った今、この層もリタイア予備軍へと移行しつつある。団塊ジュニアが老年期に差しかかる2040年が、日本社会の次なる分岐ポイントと見る向きもある。

 それまであと14年。社会的指導層として脂の乗ったこれらの市民を率いるのは、どのようなリーダーが適しているのだろう。

コミュニティ活動の後継者難

 「新しい世代へのバトンタッチ」を不出馬の大きな理由として挙げている高島市長。日本各地では、少子高齢化や都市圏への流出による人口減にいかに対処するかが大きなテーマとなっているなかで、いずれピークアウトが予想されるとはいえ、今後も人口の増加が見込まれる福岡市(および都市圏)は例外的な存在だろう。この成長をさらに加速できる人材よ、出でよ!という思いだろう。

 しかし、ミクロな地域活動の現場では日本各地と共通の問題に直面している。団塊の世代が後期高齢者となりフェードアウトしていくなかで、町内会や各団体の責任を担う人材の不足が最大の問題となっている。

 ポスト団塊のシラケ世代や、断層世代、新人類などニューシニアへの引き継ぎがシステムとしてうまく動いていないのだ。ライフスタイルや就業形態の変化、そもそも絶対的なボリュームが少ないなどの要因が考えられるが、民生委員など旧来の中間行政組織(無給の非常勤公務員)の維持も危惧されている。社会福祉協議会や保護司、消防団員なども含め、本来行政がカバーすべき役割をボランティアや民間組織に割り振ってきたこうした制度は、実は先進国では日本独自のものである。

 「子育てや仕事をリタイアし、社会貢献で生きがいを!」という「善意」によって支えられてきた制度は、今後どのように引き継がれていくのか?ミクロな「地域活動」という視点から福岡市の行く末を考えてゆきたい。

「新人類 気が付きゃ 年金もらってる」

(つづく)

【坂本晴一郎】

< 前の記事
(3)

関連キーワード

関連記事