4期16年の高島市政を踏まえ、これからの地域コミュニティの進む道を考えるこの連載。「町民のまち」がトップダウン型の市政のなかでどのような変遷をたどったのかを、前史のおさらいも含め考察していきたい。
地域コミュニティから眺めた高島市政16年(2)
全国に先駆けマスタープランを定めた福岡市
時代を「新人類」が「おぎゃあ」と生まれた頃に巻き戻す。福岡市は全国の他自治体に先駆けてマスタープランを制定した。
資料から引用しよう。「昭和36年6月、福岡市は全国に先駆けて、マスタープランとなる福岡市総合計画(基本計画)を策定しました。(中略)市民生活の安定と西日本の首都を目指して、新しく大福岡市建設を推進するための指標としてこの計画を樹立したのです。<福岡市議会史第5巻「昭和編(三)」第一章 市総合計画の策定 から>」。
昭和36(1961)年といえば、「多角都市論」によって「5市対等合併」の機運が本格化し、三大都市圏以外で初の政令市となる北九州市誕生(1963年2月)へと本格的に動き出した時期だ。県都福岡としても多少の危機感をもったのかもしれない。
当時の福岡市長は阿部源蔵氏。修猷館~五高~東京帝大出身の元内務官僚で、政令市への挑戦を掲げ、72年にこれを実現し、進藤一馬氏に市政を引き継いだ。九州における福岡一強のレールを敷いたと言ってよい。
福岡市が長期的に目指す都市像を示す「基本構想」(マスタープラン)の現行版は、高島市長1期目の2012(平成24)年に制定された。この実現に向けた政策を数値目標も含め定めた「第10次福岡市基本計画」が25年から実施されている。福岡市もお役所であるから、行政の活動はこの文言・オペレーションに沿って運営されている(市のHPから閲覧可能)。
現在の「基本構想」では目指す都市像として「住みたい、行きたい、働きたい。アジアの交流拠点都市 福岡」と謳っている。そしてその最初の項目には「自律した市民が支え合い心豊かに生きる都市」が挙げられている。都市アイデンティティのイの一番は「住民および民間主導」だ。
町世話人を廃し自治協議会制度誕生
町民の町・福博は、元気な住民自治がボトムアップで市政をリードしてきたイメージがあるかもしれないが、高島市政はどちらかというとトップダウン式の政策遂行だったと思う。たとえば「アジアの交流拠点都市」までは市民コンセンサスがとれているだろうが、「アジアのリーダー都市」といわれると、「ちょっとおこがましいなぁ」という感想が、少なくとも私の周囲ではほとんどだ。
そのトップダウン方式の市政の制度的露払いとなったのは、実は高島市長の先々代、山崎広太郎氏かもしれない。
福岡市の独自の制度として「町世話人制度」があった。発足は1953(昭和28)年。「市民の福祉を増進し、市政の円滑なる運営を図る」ことが目的。具体的な業務は、諸証明の副申、徴税令書・納付書などの配布・収集、町内居住者台帳の調査整備、市政だより等の配布など。
行政事務の補助や地域活動を担う非常勤特別職公務員を核に「中間組織」を小学校区、町内単位で組織化していたのだ。
これを廃止し、新たに自治協議会制度へと移行させたのが山崎広太郎市長(98~2006年)。市議を5期、第47代全国市議会議長会会長も務め、福岡県知事選に出馬したが奥田知事に敗北。1993年日本新党公認で衆議院議員に当選。中選挙区で山崎拓氏や故・太田誠一氏らとしのぎを削っていた時代の市政関係者は、よくも悪くもギラギラしたエネルギーに満ちていた気がするのは思い出補正か?政治改革で小選挙区制が導入され、96年福岡2区で、新進党公認で出馬したが山崎拓氏に敗れたのち、98年現職の桑原敬一氏を破り市長に就任した。なかなかタフな政治家だ。
広太郎氏はこの町世話人の功罪を肌身にしみて知っていた。建前は「行政からの縦割り指示からコミュニティの自律経営へ」だが、自民党・保守系の集票機能の一端となっていた地域もあり、旧来の政治構造を一掃する意図があったことは否めない。廃止直前の総人数は2,573人(そのうち約8割が自治会や町内会長を兼務。)平均受持世帯数は242世帯。1世帯あたり月額160円の報酬が支払われていた。
制度変更にあたっては「市民の意見を聞く」ための有識者会議が設けられた。座長は(財)福岡都市科学研究所(現・福岡アジア都市研究所)主幹研究員・岡道也氏(元九州芸術工科大学(現・九州大学)環境設計学科助教授。故人)。
議論は「コミュニティの自律経営推進に関する提言」にまとめられ、結論として「地域の主体的なまちづくり活動を支援する観点から、現在、地域団体へ行政施策別に一律に交付している地域補助金については、地域の実情に応じて弾力的運用が可能な、統合型補助金や補助事業をメニュー化し、地域特性に応じた選択制の補助金など新たな補助制度を創設する必要がある」とした。
当時、21世紀を迎えることもあり行財政改革の一環として中央省庁再編が行われ(2001年)自治省は総務省に統合された。04年には地方自治法が改正され、市町村合併で統合された地域の自治活動を補完する「地域自治区」などの制度が新設されている。
道州制の議論も含め、行政組織をどう再編するかの大きな議論、国政の流動化は多少なりとも影響しているだろうが、地域の現場では「数万円の小遣い」がリストラされることへの不満も少なくなかったと聞く。
かくして04(平成16)年自治協議会制度がスタートした。
「お世話する 人はなくして 町残り」
(つづく)
【坂本晴一郎】









